Windowsキー (Window specific key) Windows用パソコンのキーボードに 
 付いているWindowsのロゴマークが刻印されたキー。押すとスタートメニュー 
 が起動される。またWindowsキーと他のキーとの組合せで各種の操作も可能で 
 ある。その主な物を下記にあげる(これは意外に知られていない)。 
  
  Windows + M 全てのウィンドウをアイコン化する(タスクバーに収める) 
  Shfit + Windows + M 上記の逆操作 
  Windows + F 検索ウィンドウを開く 
  Windows + R 「ファイル名を指定して実行」ウィンドウを開く 
  Windows + F1 Windowsのヘルプを開く 

Windowsの主な開発コードネーム   Chicago Windows95   Daytona WindowsNT 3.51   Detroit Windows95_OSR2   Cairo  Windows2000(の一部)   Memphis Windows98   Millennium Windows Me   Whistler Windows XP   Longhorn Windows Vista   Blackcomb 放棄   Fiji   Windows Vista SP1   Vienna Vistaの次のWindows
Windows_1.0 VisiCalcの発売元であるVisiCorp社のVisiOnの発売に対抗して  マイクロソフトが発売した「ビジュアルな操作環境」。1985年11月18日に発売  された。この時点で既にCalendar, Clock, Notepad, Caluculator, Cardfile,  WindowsWrite, WindowsPaint, Terminal, それに Reversi も添付されている。  MS-DOS Executive(DOS窓)も入ってはいるがこの当時のDOS窓は互換性が悪く  よほどお行儀のよいソフトでなければここでは実行できなかったらしい。    マイクロソフトはMSDOSを開発した際に当時出ていた各社のマシンやOSを  深く研究しており、その際にXeroxのStarにも注目していた。しかしMSDOS  (当時はPC-DOS)の初期リリースにはこのコンセプトを盛り込むことは困難で  あったため、1981年8月にIBM-PCとともにPC-DOS1.0がリリースされるのを  待って、1981年9月社内で小さなプロジェクトを起こして、新しいビジュアル  ・インターフェイス"Microsoft Interface Manager"の開発を始めた。しかし  その開発は困難を極めた。    そうこうしている内に1982年秋、VisiCorp社が同様のコンセプトのVisiOn  を1年後に発売すると発表し、更に1983年1月にはIBM-PCによりそれまでの  人気パソコンAppleIIの売り上げが落ちてその挽回を狙うApple社が画期的な  マシンLisaを実際に発売。Microsoftの危機感は極めて大きくなる。    Interface Managerの最初のデモは1981年末に行われているが、この時点では  後のWindows95のように画面下部にメニューバーがあり、MultiplanやMSWord  などと親和性のあるインターフェイスが採用されていた。しかし1982年に行わ  れたデモではXeroxのStarライクなプルダウンメニューに変更されていた。  そして1983年10月に予告通りVisiOnが発売されるとマイクロソフトは翌月10日、  Microsoft Interface Managerの1年後の発売を予告した。  しかしマイクロソフトが実際にこのソフトを発売できたのは発表の2年後の  1985年11月。当初の予定から丸1年遅れてしまった。しかも発売されたもの  はデモの時とはまるで違う、極めて操作性の悪いものになっていた。当然  このソフトはほとんど売れていないし、この実際に動いている画面を見た人  は時代の貴重な証人である。筆者もこれまでに「使っていた」という人には  まだ一人しか出会ったことがない。  この操作性の悪さは当時、このプロジェクトの開発を支援するために、元々  こういうインターフェイスを開発したPARCの技術者を引き抜いてきたのが、  そのリーダー格の人がStarやLisaのようなオーバーラップウィンドウを嫌い、  タイルドウィンドウにこだわったためである。(但しアラートだけは  他のウィンドウにオーバーラップする)  しかしその時は既に1984年1月にAppleがMacintoshを発売しており、見栄え  で劣るWindows 1.0 は多くの人に「Macintoshの下手な猿まね」という誤解  をされるはめになり、その後多くのアンチMS技術者を生み出す元にも  なってしまった。実際には、VisiOn, Lisa/Macintosh, Windowsは全て  ALTO/Starをベースにしており、別にWindowsがMacintoshを真似たわけ  ではない。Macintoshの意義はこういう環境のマシンを世界で初めて商業的に  成功させたことにある。
Windows_2.x Windows 2.0, Windows 2.1の総称。
Windows_2.0 マイクロソフトが1987年9月に発売したユーザーインターフェイス。  このWindows2.0での1.0からの最も大きな変化はウィンドウの形式を  タイルドウィンドウから、元々のオーバーラップウィンドウに戻したこと  である。    タイルドウィンドウの場合、ウィンドウの重なりを原則として許さないので、  実行中の全てのアプリケーションのウィンドウを完全に眺めることができる。  これがWindows1.0の開発を指揮したPARC出身の技術者が主張した「利点」で  あるが、実際にはユーザーは、そしてWindows開発チームの大半の技術者も、  各アプリケーションの画面が重なり合うStarMacintoshのウィンドウ管理  方式のほうを快適と感じた。なによりもタイルドウィンドウ方式では、どれか  ひとつのウィンドウを広げようとすると他のウィンドウが強制的に縮められて  しまうため、各ソフトが他のソフトからの影響をもろに受けてしまうのである。    Windows2.0の開発は、このインターフェイスの改善ともうひとつはWindows1.0  の発売とほぼ同時期にマイクロソフトがMacintosh用にリリースした画期的な  新世代の表計算ソフトであるExcelをこの環境で動作させることを目的として  行われた。また、Windows2.0は当時IBMがPCDOS(=MSDOS)の後継OSとして1985年  に発売していたTopViewの上でも動くようにすることも目的としていた。  またWindows2.0ではEMSに対応し、初めて640KBの壁を越すプログラムの  作成が可能となっていた。  Windows2.0は初めて消費者に受け入れられたWindowsであり、なんといっても  高価なMacintoshを買わなくても、普通に出回っているIBM-PCで、こういった  ビジュアルな操作環境が手に入るというインパクトは大きかった。しかも当時  のMacintoshがまだシングルタスクであったのに対してWindowsは最初からマルチ  タスクであり、複数のWindowsプログラムを同時に起動して使用することができ  るようになっていた。ただ当時の雑誌記者たちはまだその「マルチタスク」の  利点にあまり気付いていなかった。
Windows_2.1 マイクロソフトが1987年12月に発売したユーザーインターフェイス。  基本的には2.0のマイナーバージョンアップであり、あまり大きな変化はないが  マウスのポインティングの精度が上がってグラフィックソフトでの操作性が飛躍  的に改良されたり処理速度の改善がされたりしている。  このバージョンは80286用のWindows/286 と 80386(i386)用のWindows/386  にわかれている。両者は機能的にはほぼ同じであるが、80386版では初めて  本格的なマルチタスクが実現され、Windows2.0の標準的なプログラム作成規約  を遵守したアプリケーション同士であれば、両者のソフトが同時実行できる  ようになっていた。  当時のWindowsは一般の人にはノン・プリエンプティブなマルチタスクと  うけとられていた。つまりプログラムが明示的にCPUの使用権をシステムに  返さない限り、ひとつのプログラムがずっと独占的にCPUを使用し続けるため  複数のアプリケーションを同時動作させるためには、各プログラムが一定時間  以上CPUを占有し続けないように、プログラム側での考慮が必要で、これが  Windows用のソフトを開発する上での困難さのひとつになっているとされた。    しかし実際には各プログラムはCPUの使用権を明示的にシステムに返さなくても  たとえばファイルを読み書きしたり、画面の描画をしたりする際にCPUは使用  されないでアイドル状態になる。Windows/386ではそういうタイミングをとら  えて、強制的にCPUの使用権をそのソフトから取り上げ、他のソフトに回すよう  な仕組みが組み込まれていた。    当時もっともそのことが目に見えて分かったのはWindows添付のアナログ時計を  2個起動してみた場合である。Windows/286で実行した場合は、両者の時計の  秒針は互い違いに動く。「秒針を動かす」という作業が終了するまで各アプリ  ケーションがCPUを占有しているためである。ところがWindows/386では両者の  秒針は同時に動いていた。これは描画の命令を出したところでCPUの使用権が  もうとりあげられて、もう一方の時計ソフトの側に渡されているからである。    ただしこの制御の仕方は別の問題も引き起こしていた。つまりCPUを手放すと  いうことは、その際にガーベッジコレクティングによって各プログラムが  使用しているメモリーブロックが移動される場合があるということでもある。  そうなると、それまでプログラム内で使用していたメモリーのアドレスが  無効になっている可能性がある。特にこの時代のWindowsは各アプリケーション  にインテル286/386 CPUの生のアドレスを渡していたため、この8080時代からの  互換性を維持するために行われている複雑なアドレス指定の方式に熟知して  いないプログラマには、Windows/386上のソフトの動作はきわめて理解に苦しむ  ものであったはずである。プログラマがこの問題に苦しめられなくなるには  Windows95の登場を待たなければならない。  また80386版のDOS窓では80386の仮想86モードを使用して各々のDOS窓で動作  するMSDOSプログラムが各々あたかもCPUを独占して動作しているかのように  動かすことが可能となっていた。  このバージョンまでのWindowsは単なるビジュアルな操作環境を提供するひとつ  のアプリケーションに過ぎない。そういう意味でInterface Manager以来の  初期のWindowsの流れはこの2.1で終了している。