JAR (Japan Access Rating) 日本国内のWWW視聴率調査をしている会社。 

JAR (Java ARchive) Javaの複数のクラスファイルをまとめてひとつに  したもの。拡張子 .JAR。
JARL (Japan Amateur Radio League) 日本アマチュア無線連盟。
JARO (Japan Advertising Review Organizatio) 日本広告審査機構。  あんまり看板と中身が異なると「JAROに言っちゃろ」と言われる。  国民の多くは「もっと頑張れ」「もっと厳しくしろ」と思っている。
JAS (Japanese Agricalture and forestry Standard) 日本農林規格。
JAS (Japan Air System) 日本エアシステム。昔は東亜国内航空(TDA,  Toa Domestic Airline)といった。国際線に進出する時この名前に  改めた。この時、日本農林規格のJASとぶつかる問題を指摘され、  機内食を入れた箱にJASという略語を入れない、などの妥協策が  定められた。2002年に日本航空(JAL)に吸収合併。
JASAA (Japan Automobile traffic Safety Accessories Association)  日本自動車交通安全用品協会。チェーンなどの品質のチェックして  認定を出している。
JASDF (Japan Air Self Defence Force) 航空自衛隊。
Jasmin 富士通とCAI社が共同開発した、マルチメディアのデータベース  ソリューション。
JASMIN (Java ASeMbler INterface) Jon Meyer と Troy Downingにより  制作されたJavaのアセンブラ。
JASNET (Japan Asia Solution NETwork) 韓国系のIT企業。
Jasper_Forest IntelNehalemCPU開発コードネーム。  →Nehalem
JASRAC (JApan Society of Right of Authors and Composers)  日本音楽著作権協会。日本の商業的音楽著作物の権利を一手に管理して  いる。日本国内の「メジャー」レーベルから出るCDにクレジットされ  る作詞・作曲・編曲などの権利は基本的にJASRACで管理される。JASRAC  に管理を委託している場合、同じ人がJASRACに登録せずにCDを販売す  ることはできない。(別のペンネームを使えば可能)    国内の出版物や演奏会でJASRACに管理されている楽曲を掲載・演奏する  場合は、JASRACに著作権使用料の支払いが必要である。ネット上での  利用についてはもう10年くらい前から話し合いが行われているが未だに  結論が出ていない。早急に適切な使用料の金額を定めて公示すべきとこ  ろである。    誤解されているケース  (1) CMで流されている曲が面白かったので、そのCMを流しているメーカー     に電話して「うちでも流していいですが?」と聞いたら「ええ、どん     どん流してください」と言われた。          音楽著作権は作詞・作曲・編曲・演奏をした人にあるので、CMを発注     したメーカーに許諾を出す権利は無い。    (2) いい曲があり、作詞作曲者を個人的に知っていたので「流していい?」     と聞いたら「うん、いいよ」と言われた。          JASRACに登録している以上、許諾はすべてJASRACを通す必要がある。     著作権者本人が、直接許諾を出すことはできない。    CMの音楽の場合、そのメーカーの全国の販売店でその曲が流されている。  これは、JASRACに登録する前に、特別に許可をもらっているのである。  この許可を取り忘れると、自分のところのCMなのに何百万円という使用料  を払う羽目になることがある。  昔はこの特別許可はJASRAC登録後も可能だったのだが、悪用するケースが  あり、登録する時に同時に届け出ない限り許可されないことになった。
JATE (Japan Approvals Institute for Telecommunications Equipment)  財団法人電気通信端末機器審査協会。
Java 「ジャヴァ」もしくは「ジャワ」と発音されている。  Sun Microsystems が開発したソフトウェア環境であり、新世代のBASIC  ともいうべきものである。1970年代に多くのマニアがBASICで簡易ソフト  を作ったように、現在多くの人たちが Java で簡単なソフトを作っている。  しかし BASIC に著しい方言が存在したように、Javaにも実に色々なものが  あり、様々な混乱を来している。    Javaは1991年頃、はじめ家電製品組込みICのための制御言語として開発さ  れた。James Goslingは IBMを経て Sun Microsystemsに入社。当初 NeWS  の開発に携わった後、家電用のICの研究プロジェクト「ステルス計画」に  参加する。    この開発チームは当初C++でソフトを組んでいたが、色々不満な所もあり、  いろいろコンパイラを改造している内に OAK というシステムにたどりつ  いた。彼らが考えたことは3つ。     ・家電品用のICは高価なものでは困る   ・家電品の制御には絶対にバグが許されない。消費者は先進性より安定     性を求める。   ・家電のCPUは頻繁に変更されるので、ソフトは移植しやすいものでな     ければならない。  この OAK が後に公開されることになった時、商標権の関係でその名前が  使用できず、新しい名前としてJava が採用された。    Javaがもっとも注目されたのはその「移植しやすさ」、そして安定性で  あった。Java というと日本では「ジャワ・ティー」という連想が働くが  アメリカでは「ジャワ・コーヒー」という連想になるらしい。Javaという  名前は、この言語を使って、コーヒーでも飲みながら気軽にソフトを組ん  で欲しい、という意味である。日本で「モカ」がコーヒーそのものを意味  することがあるように、アメリカではJavaそのものがコーヒーの意味にな  るらしい。    (Oakという名前はGoslingが名前を考えていた時、ふと窓の外に樫の木が  あるのを見たからだという)     1994年頃、インターネットが話題になると、プロジェクトのメンバーの  Patrick Naughton は Jonathan Payne とともに Javaで WWWブラウザを  組んでしまった。当時は Web Runner と呼ばれたのが、後の Hot Javaで  ある。Sunはこれは使えると判断。1995年3月、Javaと Hot Java を Sun  World 95 で発表した。    (Javaに詳しくない人の誤解をひとつここで解いておくと、Hot Javaと  いうのは、Netscape Navigatorや Internet Explorerと同じブラウザで  ある。ただこのブラウザ自身がJavaで書かれていることが面白いのである)    この Hot Java の登場で、今まで「見るだけ」であったホームページの  世界が突然「対話できる」ものに変身した。このことに即反応したのは  当時、WWWブラウザ市場を事実上独占していた Netscapeである。Netscape  は1996年、Netscape ver 2 を出して、このブラウザ上でも Javaが  動くようにした。    Netscape上で Javaがサポートされたことは非常に大きなことを意味して  いた。Microsoftはこの年 Windows 95を発表して、それまで多くのライバ  ルと戦ってきたパソコンOSの世界に事実上の決着を付けた。    Windows95の前に、MacintoshもOS/2もNetWareも撃沈した、と思った所で  Microsoftは思いも寄らぬ所から喉元にナイフを突きつけられたのである。    Netscape上でJavaが動く。そのNetscapeはWindowsでも、Macintoshでも、  さらには UNIXでも動作する。ということは、ソフト作者がJavaでプログ  ラミングした場合、マシン自体は SPARCでもインテルでもモトローラでも  全然構わないし、OSもWindows,Macintosh,Unix関係無いことになる。    この技術が定着したら、Microsoftはその優位性が一夜にして崩壊してし  まうのである。    Microsoftはそもそも今までインターネットにまじめに取り組んでこなか  ったことを後悔していた。そこで必死になってこれを追い掛け始めた。  Microsoftの凄さというのは一時期のIBMの凄さに通じるものがある。つま  り出遅れたと気づいた時、必死に追い掛ける姿勢である。  Microsoftは自社開発のInternet Explorerなるブラウザを大規模な人数を  投入して開発。このInternet Explorer上でもちゃんと Javaが動くように  した。そして Sunが提供していた JDK よりも使いやすいJavaの開発キット  Visual J++ を格安の価格で公開するのである。    しかしこの辺りから Sun と Microsoftは対立しはじめるようになる。    SunはMicrosoftに Javaをライセンスした訳だが、Microsoftは Sunの仕様  に完全には従っていなかった。また Sunの仕様では当時まだ日本語が扱え  なかった。そこで Microsoftは見切り発車して独自の仕様で日本語が使え  るようにした。この仕様は後に標準のものに合わされたが、その頃から  今度はMicrosoftはVisual J++ でWindows用のアプリケーションも作れます  などといったJavaの理想を踏みにじる行為を行い始めた。これらの行為に  対して Sun は異議を唱え、結局法廷闘争に持ち込まれる。    しかし法廷論争になってしまったこと自体が Sunの敗北を意味していた。  論争に決着が付くまで、全てのプラットフォームで共通に動くソフト環境  というものは実現しない、ということを意味するからである。Sunは何とか  Microsoftを説得して、早い時期での和解の道を探るべきであった。  2002年現在、Macintosh やUnixの利用者、またWindowsでもNetscapeや  Operaの利用者は比較的最新のJavaが利用できるが、Windows+IEの利用者  は JDK1.1相当のJavaしか利用できない。またJDK1.1が入っていると、  Netscape6.xが起動できないという問題も起きている。またサンとの裁判  の結果に従えば今後はもうMicrosoftは自社のJava VMをもう出荷できない。  そのため今後Microsoft製のJava VM利用者はバグフィックスさえしてもら  えないのである。    SunはWindows+IEの利用者のためにJava Plug-in というソフトを用意して  おり、これを入れれば Windows+IEの利用者でも最新のJava環境が使用で  きるが、このことはあまり周知されていない。またMicrosoftはSun製の  Java VMを入れた場合の動作は保証できないと言っている。そもそも  Microsoft製とSun製の両方のJava VMがインストールされているときに  実際にどちらが起動されるかは不明という説もある。しかしMicrosoftの  VMは「アンインストール方法が提供されていない」のである。完璧に  利用者を無視した「子供のけんか」状態である。    こういう事態を招いたのは、MicrosoftがWindowsにこだわりすぎている  ことと、SunもまたJavaに対する自社の権利を主張しすぎたことからで  あろう。Microsoftもこういう新しい技術にもう少し寛容に対処して欲し  かったし、Sunもいっそのこと、Javaの権利を自社とは無関係の公的な  機関に委譲してしまっていたら対立も起きにくくなっていたであろう。  →.NET,JDK,J2SE