PC-8801 日本電気のベストセラー8ビットパソコン。下記に捕捉できている 
 分だけ示す。 
 1981 PC-8801   228,000円 μPD780C-1 
 1983 PC-8801MK2  168,000〜 μPD780C-1×2 
 1985 PC-8801MK2TR 288,000円 μPD780C-1 
    PC-8801MK2SR 168,000〜 μPD780C-1 
    PC-8801MK2FR 99,800〜 μPD780C-1 
    PC-8801MK2MR 238,000円 μPD780C-1 
 1986 PC-8801FH   99,800〜 μPD70008AC-8 
    PC-8801MH  208,000円 μPD70008AC-8 
 1987 PC-8801FA  168,000円 μPD780C-1 + μPD70008AC-8 
    PC-8801MA  198,000円 μPD780C-1 + μPD70008AC-8 
    PC-88VA   (資料無) (資料無し) 
 1985年以降の機種にはFM音源が標準装備されている。価格に「〜」が 
 付いているマシンは表示されているのがフロッピーの無いタイプ(MODEL10)。 
 フロッピー(5inch)が1機付いたMODEL20, 2機付いたMODEL30はそれだけ 
 高くなる。初代のPC-8801はフロッピーは外付けするしか無かった。 
  
 PC-8801はワープロソフトなどのビジネス用ソフトがある程度出たのに 
 加え、極めて多数のゲームソフトが作成され、主としてゲーム機として 
 大きなセールスを上げた。ゲーム機としては当時MSXが生まれた時代で 
 あるが、結局MSXはあまり売れず、簡単なゲームは任天堂のファミコン、 
 込み入ったゲームはPC-8801で作られたのである。ただし任天堂のファ 
 ミコンよりPC-8801の方がソフトの作成に最低限必要な技術はずっと 
 小さいので、ソフトの品数としてはこちらが任天堂より遙かに多いで 
 あろう。しかしヒットしたソフトはたいていファミコン版も出ている 
 し、売れたソフトの合計本数としては当然ファミコンが遙かに多い。 
 →PC88

PC-9801 日本電気の16ビット/32ビットパソコンで、当時国内のパソコンの  標準機の地位を持っていたマシン。1986〜1993年頃のシェアは7〜8割を  取っていたものと思われる。  機種は非常に多いので、一覧は別途下記に示す。特殊な機種は捕捉でき  ていないかも知れない。また私が興味を失ってしまった1996年以降の  マシンが抜けている。  http://www.ffortune.net/comp/history/pc9801-list.htm  最初のPC9801は1982年に発売された。μPD8086 5MHz, MM=128KBという  マシンだが、この時期にオフィスの中核で動いているオフコンのメモリ  が24KBとか48KBという時代である。まさに「大容量」のメモリーを搭載  していた。PC98は初めからオフコンより強力だったのである。  PC9801のアーキテクチュアが完成するのは1986年のPC9801vm21である。  これ以降、1993年にPC9821が登場するまでPC98の基本的なアーキテク  チュアは一切変更されなかった。vm21はCPUに8086の上位互換CPUである  日本電気製のμPD70116(通称V30)を搭載しており、メモリーはMSDOSで  利用できる限界の640KB, 5インチのフロッピーを2機搭載していた。    IBM-PCではフロッピーとハードディスクがあった時、ハードディスクの  無いマシンで動いていたソフトのフロッピーをそのまま挿してもうまく  動くように、フロッピーに A: B: を割り当て、ハードディスクは C:  にしている。しかしPC98では、フロッピーで動いていたソフトをそのま  まハードディスクにコピーしても動作してくれるように、ハードディスク  を A: にして、フロッピーは B: C: にする。どちらの考えもそれなりに  ユーザーに配慮しているのだが、この違いに、両方のマシンを使っている  人は随分苦しめられた。フロッピーを初期化するつもりでハードディスク  を誤って初期化してしまい、気が付いてから呆然とした人も多いであろう。  9801シリーズで最初の32ビット機は1988年7月のPC-9801RAである。私が  最初にWindowsのプログラムを開発したのは RA5 386-16MHz, 40MHDという  スペックのマシンである。定価736,000円。標準では640Kしかメモリーを  持っていないので、Windows/386 (Windows 2.0 を 386 CPU用にアレンジ  したもので、Windowsシリーズで最初に本格的マルチタスクを実現したOS)  を動作させるために、メモリーを3MB増設した。メモリーボード1Mを1枚と  サブボード1Mを2枚である。この40MBのハードディスクで200本近いWindows  のソフトを組んだのである。当時はプログラムサイズ(データ部を除く)を  事実上64KB以内に抑える必要があったので、何かの機能を追加する時は  一番使いそうにない何かの機能を外すなどという、厳しいプログラミング  をしていた。(Large Modeにすればそれ以上使えたがLargeモードのプロ  グラムは当時のWindowsではガーベジ・コレクティングとの相性が悪く、  1日中動かしている業務用マシンではとても利用する勇気はなかった)
PC-9821 日本電気が1993〜1997年に発売した32ビットパソコン。  ソフトとのインターフェイスとしては従来のPC9801との互換性を保った  まま、ハード的には年を追うごとにPC/AT化していった、いわばPC98を  締め括るマシンである。このマシンはMSDOSモードで使う時は完全にPC9801  であり、640x400ドットの画面で動くが、Windowsモードで使用する時は  PC/AT化されたハードウェアを直接Windows-OSに公開しており、640x480  ドットの画面で、事実上PC/AT機として動作するのである。そのため基本  的にはPC9801のほとんどのソフトが動作するが、ハードを直接操作する  ようなソフトは一部動かないものもあった。  この1993年初のPC-9821の発売は当時の日本電気の関本社長の決断で実現  したものである。当時社内には「まだまだPC9801で行ける」という空気が  強かった。その象徴が1992年秋に出たPC98-Multi。しかしそのマシンを  見た関本ら一部の幹部は「これではDOS/Vに勝てない。このままだと日本  電気は国内のパソコン・トップシェアの位置から早々に転落する。下手  すると他社のOEMで生き延びる二流企業に落ちる可能性もある」と危機感  を持った。そしてごく少人数によるプロジェクトを作り、ほんの2ヶ月程  でPC9821の発売にこぎつけたのである。役員会でも反対意見が多かった  のを強硬突破したといわれる。  PC98マシンの一覧は下記参照。  http://www.ffortune.net/comp/history/pc9801-list.htm  ただし、1996〜1997年のマシンが(もう興味を失っていたので)捕捉されて  いない。またそれ以外でも特殊な用途のマシンはもれているかも知れない。
PCA (Personal Communication Assistant) 携帯通信端末。
PCA 日本のソフトメーカーの名前。
PC/AT (Personal Computer Advanced Technology) IBMが発売した3世代目  のパソコンで、1985年に発売され、i80286 CPUを搭載し、ISAバス,VGA  ディスプレイアダプタ, などを装備している。  現在の世界的なパソコンの標準はPC/AT互換機である。  →PC/XT,PS/2,PC99規格
PC/AT互換機 PC/ATの上位互換機のことで、現在の世界のパソコンのほと  んどを占めている事実上の標準仕様である。これと違う仕様で動いている  のは大企業などのホストマシンとして使用されている大型機や、ネットワ  ークのサーバーとして使用されているSPARCマシン、それからAppleが  販売しているMacintosh、くらいである。  元々のPC/ATはインテルの80286という16ビットCPUを搭載していたが、現実  には現在多くのソフトが要求している仕様としては 80286の上位CPUである  32ビットCPU・Pentiumの第二世代(P54C)以降のもの、及びその上位互換  CPU(AMDなど)ということになっている。音楽や映像などのリアルタイム処理が  必要ないソフトであれば80286の次の、インテルの最初の32ビットCPUである  i386や、その次のi486でも何とか動作する可能性はある。  またハード的にもPC/ATはISAという周辺機器接続用のボード規格であった  が、現在ではこの仕様のボードはほとんど販売されておらず、PCIという  新しいボード規格か、PCMCIA,CardBusなどといった規格のPC Cardの  スロットを装備していなければならない。  またディスプレイもPC/ATでは640x480ドットのVGAという規格であったが、  現在でも一応640x480でも使えることは使えるし、PDAなどではこの仕様の  ものもあるが、通常のパソコンの場合1024x768以上の解像度をもつものが  一般的である。  国際的に普及したPC/AT互換機であるが、日本国内での販売・普及にはかなり  の紆余曲折があった。日本とイタリアが最も普及に時間がかかったらしい。  これは日本では日本電気のPC9801, イタリアではオリベッティのマシンが  普及していて、なかなかPC/AT互換機がそれに対抗できなかったことによる。  イタリアのケースは私もよく知らないが、日本の場合問題になったのが  日本語の処理である。日本電気のPC9801はパソコンで日本語を表示する為  漢字の書体をROMに持っていた。また同時期に他の国内パソコンメーカー  から発売されていたパソコンも同様の手法であった。  そこで一時期、PC/ATにも同様に漢字ROMを搭載する方法がとられた。これ  はAXと呼ばれ、日本電気以外の多くの国内パソコンメーカーがこの仕様  のパソコンを出荷したが、実際にはソフトメーカーがなかなか対応してく  れず、価格的に十分PC9801に対抗できたわけでもなく、結果的にAXは失敗  した。    PC9801の黄金時代に唯一国内で売れたPC/AT互換機は東芝のJ3100である。  これは東芝がアメリカで発売して好評であったノートパソコンT3100に独自  の仕様(AXとは異なる)で日本語ROMを搭載したものであり「ノートパソコン」  という新しいコンセプトが支持されて、多くのユーザーを集めた。  PC/AT互換機が本格的に普及し始めたのはDOS/Vの登場による。これは今  まで日本語の書体をROMに置いていたのをやめ、ファイルとして提供し、  i386 CPUで使いやすくなった1MB超のメモリー領域に展開して使用するもの  である。これはメモリーが安価になってきたことから現実的になった手法  である。同じ道は元々高価なマッキントッシュでは数年早く起きていた。  マッキントッシュも最初は日本語を漢字ROMで提供したが、すぐにファイル  で持つ方法に変更され、この結果日本でもアメリカと同じハードウェア仕  様のまま、マシンが販売できるようになっていた。DOS/Vの効果もこれと  同様である。このOSの登場により、世界共通の仕様のまま何も変更せずに  日本国内にパソコンが出荷できることになった。これはパソコンの製造  コストの大幅ダウンが実現することを意味する。  ちょうどこの時期アメリカで急速に販売を伸ばしていた Dell が日本にも  進出してきて、このDOS/Vにより国内パソコンシェアを相当食い始める。  そこで慌てて今までAXをやっていた各メーカーも、(AXユーザーの手前、  あまりはっきり言えないが)曖昧にAXを縮小してDOS/V仕様のパソコンを  販売しはじめた。これによって初めてPC98の牙城が崩れ始める。  危機感を抱いた日本電気はPC-9821を作ってこれに対抗したが、最終的  には1997年にPC98nxを発売して、ここもDOS/Vに合流することになった。