MFLOPS (Mega FLoating Oeration Per Second) 百万FLOPS。浮動小数点 
 演算を1秒間に百万回実行する速度。スーパーコンピュータや浮動小数点 
 演算ユニットの速度の単位。1980年代頃使用されたが現在はもうGFLOPS 
 の世界に入っている。 
 →GFLOPS,MIPS

MFM (Modified Frequency Modulation) フロッピーや固定ディスクで多く  採用されている磁気記録方式。  →FM
MFN (Most Favorite Nation) 最恵国。
MFS (Macintosh File System) マッキントッシュの初期のOSで使用されて  いたファイルシステム。その後階層状のHFSに発展した。
MFT (Multiprogramming with a Fixed number of Tasks)  IBM360の初期のOSの名称。詳しくはOS/360参照。
MG (Machine Gun) マシンガン。
Mg (MaGnesium) マグネシウム
mg (milli gram) ミリグラム。1000分の1グラム。
MGM (Metro Goldwyn Mayer) アメリカの映画会社
MHD発電 (Magneto-Hydro-Dynamic power generation) 電導性の流体を使用  して熱エネルギーを直接電気に変換する発電法。
MHEG (Multimedia and Hypermedia information coding Experts Group)  1998年にヨーロッパで始まったデジタル放送で使用されているマルチ  メディアやハイパーメディアのデータの記述方式の標準規格。
MHS (Message Handling System) ITU-Tが定めた電子メールの交換規格。  1993年4月にNiftyServeとPCVanとの電子メールが交換できるようになっ  たときは、MHSの規格を使用していた。
MHz (Mega Hertz) メガヘルツ。百万ヘルツ。このことばは特に  マイクロプロセッサの動作速度(クロック数)についていうことが  多い。1MHzというのは、CPU内部の時計が1秒間に100万回打つことをいう。  CPUはその時計に合わせて動作するので、同じ機構のCPUであればこの  クロック数の高いもののほうが速い。  最近はCPU内部で複数の時計が動作しているが、クロック数は基本的に  は、CPUの中心部の内部バスの動作速度のことをいう。    →GHz,MIPS,オーバードライブ,クロック数,コンピュータの動作速度
MI (Military Inteligence) イギリスの諜報機関。国内担当のMI5と海外  担当のMI6がある。ジェームス・ボンドやバンコランはMI6である。
MiB (Mega bInary Byte) メビバイトと読む。1024KiB。  メガバイト(MB)の意味だが特に106 バイトではなく220 バイトの  意味であることを強調するために i の文字を加えたもの。  →KiB,GiB
MIB (Management Information Base) TCP/IPネットワークの監視に使用さ  れるSNMPで使用する管理情報リスト。RFCで定められた標準のMIBと  各メーカーが独自に拡張した拡張MIBとがある。前者ではネット上の  リクエスト関係の情報を定義し、後者ではCPUの使用率などの負荷情報  関係を定義する。
MIC (Message Integrity Check) メッセージ完全性チェック。  WPA2で採用されている改竄防止技術。暗号化されたデータから  CBC-MACというアルゴリズムで16バイトの値を計算し、そのうちの  8バイトのみを付加データとして本文と一緒に送信する。
MICOS (Meteorological Information Confidential Online System)  気象情報提供システム。
MICR (Magnetic Inc Character Reader) →MCR
microATX 1997年にイントルが発表したマザーボードの規格。
MicroBook アキアが販売するパソコンの名前。
Microfocus パソコン用のCOBOLコンパイラなどを制作している会社。
Microfocus_COBOL MSDOS時代にパソコン用COBOLのほぼ標準の地位を  占めていたCOBOLコンパイラ。1パスでコンパイルするという荒技で  非常に高速であった。
microSDカード miniSDカードより更に小型のSDカードで  最近携帯電話に多く搭載されている。
Microsoft 世界最大のソフトメーカー。MSDOS,Windowsの開発元。  1974年Bill GatesPaul Allenにより設立された。    設立に至る経緯はBill Gatesの項参照。    当初はAltairなどのi8080ベースのパソコン用BASIC周辺システムを主力  商品としていたが、1978年いくつかの偶然の重なりからIBMのパソコン制作  に協力することになり、IBM-PC(1981年発売)のためにPC-DOSを制作する  こととなった。このOSはIBMとは別にMicrosoft側でもMS-DOSの名前で販売  することになり16bit CPU 時代の事実上の標準OSとして広く使用された。    1981年から1995年にかけてのMicrosoftの動きはIBM,Appleとあわせて三者の  関係の中で語る必要があるであろう。    MicrosoftはMSDOSを完成させると1981年9月にはすぐに次世代のOSの開発に  取り組むが、開発は難航し、そのWindowsが出荷できたのは1985年11月で  あった。一方Appleは1979年から新しいゲーム機の開発を進めていたが、  開発の途中でAlan KayALTOを知り、そのコンセプトを取り込んで  1983年にLisaを完成させる。(要するにAppleもMicrosoftもこのシステム  の作成に4年かかった)    しかしLisaはソフトがそろわないために商業的には完璧に失敗し、Appleは  Lisaと平行して進められていた別のプロジェクトで作られたMacintoshを  市場に投入することになるが、この新しいマシンではソフトの制作を外部に  解放することにし、当時BASICで有名であったMicrosoftに Macintosh-BASIC  の制作を依頼する。しかしMicrosoftのBill GatesはBASICのようにマニアや  ソフト開発者だけが使えるツールよりも、Macintoshのように誰でも使える  機械には誰でも使えるソフトである表計算ソフトのほうがふさわしいと  提案し、ここにExcel(1985)が生まれることとなった。    Bill Gatesはモトローラ製のCPUで動いているMacintoshのシステムをIBM-PC  にも移植することを勧めるが、Apple側はそれを断る。    一方のIBMは1981年にIBM-PCを完成させた際には外部の協力を仰いだが次期  システムはIBM社内で開発することにし、まず1985年に新しいOSTopViewを  リリースしたが、このOSは従来のPC-DOSと互換性がなかったため市場は受け  入れてくれなかった。しかしMicrosoftはIBMのその動きを警戒。その年に  発売を予定していたWindowsをTopView上でも動かすと言ってIBMに再接近。  IBM側もTopViewの失敗は反省していたため、TopViewの次期OSは再びMicrosoft  と共同で開発することを決定。OS/2のプロジェクトがスタートする。  このOSはMSDOSとの上位互換性もある上になんといってもIBMとMicrosoftの  共同プロジェクトということで、市場は歓迎し、OS/2は発売前の1987年から  大きなブームとなった。    しかしこのプロジェクトは実は早々に空中分解してしまう。両者の開発思想  の違いから、遅々として作業は進まなかった。両者の決裂が見えてきた頃の  1990年。 IBMはAppleがMacintoshのシステムをモトローラのRISC 88000 に  乗せ変えるプロジェクト(Hurricane)を進めていることを知り、Microsoft  を諦めて次のパートナーとしてAppleを想定し、MacintoshをどうせRISCに乗せ  変えるのであればIBMのRISCである Power に乗せてはどうかと提案する。  そしてAppleはこの話に乗ってしまった。    実際にはApple側の88000への移行作業はかなり進んでいていまさら全く命令  体系が違うPowerへの乗せ替えは、全てをやり直すことを意味したため、結局  IBMはモトローラと交渉し、Powerに 88000の命令体系を加えた特殊なCPU  PowerPCを作ることにし、Macintoshは実際にはPowerPCに移植された。  PowerPCベースのMacintoshは1994年に発売された。IBMは気をよくしてApple  にいっそのことIBMと合併しないかという話を持っていく。しかしAppleの  Spindler会長は図に乗ってIBM側にあまりにも大きすぎる条件を提示したため  IBMは呆れ返り、1994年11月、この話は御破算になってしまった。あわせて  両者の距離は開いていく。  そしてこのIBMとAppleの蜜月時代が終わりを告げた時、OS/2のプロジェクト  から決別し、独自の道を孤独に歩んでいたMicrosftは新しいOSWindows95  を完成させつつあった。    1995年Windows 95が発売されてみると、そのOSはMacintoshが早くから  予告はしていたもののどうしても実現できずに苦悩していたマルチタスク  が実現されており、OS/2ほどではないもののかなり安定して動作するOSと  して、ビジネス分野でも十分使用に耐えるものに仕上がっていた。Microsoft  はこのOSの発売に、社運を掛けて、今までのソフトウェアの宣伝としては  考えられなかったような大々的なキャンペーンを展開。この大胆な賭けが  みごとに成功して、Windowsはあっという間に、今までMacintoshが占めてい  たような、簡単に操作できるマシンを好む人にも、今までOS/2が占めていた  ような、本格的なビジネスソリューションの分野でも、広く受け入れられる  ことになった。    1995年はMicrosoftがコンピュータの分野でトップに立った年である。    そして1995年から2002年頃に至るMicrosoftは、今度は追われる立場となり、  また多くのアンチを生み出しつつも必死にその座を守ろうとする姿をさらす  ことになっていく。    最初の「衝撃」は思わぬ所から出た。Windows95が発売される前年の1994年、  小さな企業が誕生していた。Netscapeである。同社は当時注目されつつ  あったインターネットのシステムの上で動くWWWのサービスにアクセス  するためのソフトを開発していた。Microsoftは当初この動きを軽視してい  たがNetscapeが売れ始めると、これはただならぬものであることに気付く。  そこでWindows95にもインターネットにアクセスするための機能を追加しよ  うとするが結局これはWindows95の発売には間に合わず、あとで Plus! と  いう形で追加するハメになった。    その後のNetscpaeとMicrosoftの戦いは熾烈を極めたが、Microsoftの勝利  で決着が付くのは1997年頃である。    しかしその頃、既に別の戦いも始まっていた。やはりWindows95の出た年  1995年にSun Microsystemsが小さな技術Javaを発表する。Microsoftは  最初はこれに好意的に反応して、Internet ExplorerでJavaが利用できる  ようにしたりVisual J++などといった軽快でビジュアルなJava開発環境  を販売したりしていたが、次第にSunと路線の違いが明確になっていく。    Sunとしては折角作ったJavaをできるだけ色々な環境で使って欲しいので  マシンやOSなどのプラットフォームに依存せずに動くソフトを作って欲し  い。しかしMicrosoftはせっかくこういう便利なものがあるならWindowsの  機能を直接呼び出せるようにして、Windows用のソフトも開発できるよう  になっていって欲しい。    両者の対立は次第に深刻になり、やがて法廷闘争にまで持ち込まれること  になってしまう。そしてMicrosoftはJavaに対して冷たい態度を取り始め  Java2が発表されてもそれを同社のJava実行環境には搭載せず、また  Visual C#.NETというJavaクローンの発売を強行した。Microsoftとして  はこの開発ツールなら「Java」という言葉を使っていないから、同社が  Javaに期待していた「Windows用の簡単なソフト作成ツール」というもの  が実現できるわけである。    両者は2002年12月現在まだ対立したままであり、Java自体は1.4まで進化  して、正規表現などの機能が加わり、かなり強力な環境に進化してきたが  Internet Explorerにはいまだに1.1相当の実行環境しか搭載されていない。