Macromedia ソフトメーカーの名前。Director,FreeHand,DreamWeaver 
 などのソフトを制作している。以前はMacromindといった。 
 2005年4月18日Adobeに買収される。 

Macromedia_Director マルチメディア・オーサリング・ソフトの定番。  多数のチャンネルを持つ「スコア」というワークシートに、静止画とその  位置を指定することにより、動画を作成する。マウスクリックに対する反応  その他をLingoと呼ばれるマクロ言語で記述することにより、対話型の  ムービーを制作できる。場面転換などは多くの種類の視覚効果を掛ける  ことができる。画像の編集能力もかなり強力である。  インターネット上ではShockwave形式で公開することができる。  MacintoshとWindowsの両方のプラットフォームでひとつのムービーを動作  させることが可能である(実行形式はそれぞれ生成する必要があるが)    →Flash
Macromind Macromedia社の昔の名前。
MacTCP (Macintosh TCP) マッキントッシュ用のTCP/IP設定ソフト。
Maffei,Greg 2005年6月24日にOracleCFO兼社長に就任。  1997-2000年にはMicrosoftのCFOを務めて、企業買収に力を発揮した。
MAG (MAkichan Graphic format) パソコン通信時代によく使用された画像  形式のひとつ。MAKIの改良版で256色まで使えて画像サイズも可変であ  る。MAGを見るソフトは「鮪(まぐろ,MAkichan Graphic LOader)」と呼ば  れる。
Magic_Cap ゼネラル・マジック社が開発した携帯端末。
Magic_Gate ソニーが1999年に発表したデジタル著作権の管理技術。
magmag →まぐまぐ
make 開発支援ソフトで、ソフトを複数のソースに分割して開発している時  変更したソースだけをコンパイルしたりする手順を管理するソフト。  初期の頃はmakeファイルという、makeの動作を指定するファイルを手動で  書いていたが、そのうちソースの依存関係を調べて自動生成することが  できるようになり、やがて開発システムの中に吸収された。
MAKI (MAKIchan net format) 「まきちゃんNET」で開発された画像形式。  アナログ16色。640x400ドット。MAGの前身。
MAN (Manual) UNIXでソフトの説明を表示させるコマンド。
MAN (Metro Area Network) 大都市エリアネットワーク。都市における  企業や個人が使用するネットワークのバックボーンとなる高速通信網。  xDSL,CATV,FTTHなどを民間業者が営業展開するためのインフラ  となるもの。
mandelbrot →マンデルブロー
Mantis Windows XP Embedded ver 5.1の開発コードネーム
MAOIX (Microsoft Ascii Otsuka-syokai Iodata-kiki X)  マイクロソフト、アスキー、大塚商会、アイオーデータ機器が共同で策定  した、ソフトのインストール規格。
MAP (Manufacturing Automation Protocol) 工場用LANのプロトコル。
map 地図。 →マップ
MapCash Windows98で導入された高速キャッシュの技法。
MAPI (Messageing API) Windowsの電子メールシステムのアプリケーション  ・インターフェイス。
MAR (Microsoft Authorized Reseller) マイクロソフト認定の販売店。
Maria MySQLプロジェクトの創始者である、Michael "Monty" Widenius  がMySQLの開発から離脱してフォークさせて開発したデータベースエンジン。  GNUライセンスで配布されている。    なおMariaというのは開発者Montyの3番目の子供の名前から採られた。  ちなみに1番目の子供の名前MyがMySQLの語源である。(2番目の子供はMax)
MARISAT (MARItime SATelite) アメリカの海事通信衛星。
MARS (Magnetic electronic Automatic Reservation System)  電子磁気予約システム。みどりの窓口のシステム。1965年10月1日  正式スタート。
MARS-102 MARSで各駅や旅行代理店に置かれたチケット発行端末。
MASER (Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation)  メーザー。レーザー(LASER)をマイクロ波領域で起こしたもの。
Marshmallow マシュマロ。Android 6.0のコードネーム。
Mask_ROM →ROM
MASM (Macro ASeMbler) MicrosoftMSDOS用に提供していたアセンブラ。  強力なマクロ機能を持ち、さながら高級言語のようなコーディングができて  いた。
Mathematica Wolfman Research社が開発した数式処理用ソフト。
MathML (Mathematical Markup Language) 数式を表示するための  XMLベースのマークアップ言語。対応するブラウザもぼちぼち  出てき始めており、今後の標準になっていくか注目される。
Matrox カナダのGPUメーカー。正式にはMatrox Electronic Systems Ltd。
MAU (Medium Attachment Unit) イーサカードとネットワークケーブル  の間で信号の変換を行う機器。トランシーバとも。
Mauchly,John (1907.8.30-1980.1.8) ジョン・モークリー。John William Mauchly.  ENIACの作成者。    1907年シンシナティ生まれ。ジョン・ホプキンズ大学で物理学を修め、1932年  に博士課程修了。各地の大学で教壇に立つうち1940年頃電子式の計算機を作っ  てみたいという意欲が湧いてきた。部分的な回路などを試作してみるが全体を  完成させるにはかなりの費用がかかりそうだということで困っていた。    1941年第二次世界大戦が始まるとモークリーはペンシルバニア大学のムーア校  で戦時用の電気技術者の養成コースで教えることになる。この学校には電動の  機械式微分計算機があった。しかしこの計算機はひじょうに複雑な構造をして  いるため頻繁に故障し、そのたびにどこがトラブルを起こしているか調べるの  に多大な時間を要した。そこでモークリーは今まで暖めていた「電子式」の  計算機のアイデアを提示し、部品が「動く」部分を無くしてしまえば、故障の  少ない計算機を作れると提案した。しかしこの時は誰もそんな雲をつかむよう  な話には乗ってこなかった。歯車やシャフトが「動かない」のに、どうして  計算ができるのか誰も理解できなかったのである。ただひとり同じくこの学校  に教えに来ていたPresper Eckertをのぞいては。    このアイデアに興味を持ったEckertはこの後Mauchlyと急速に親しくなり、二人  はいろいろな意見を交換することになる。    1943年になって陸軍の弾道研究所の所長がたまたまMauchlyとEckertの電子式  計算機に関する論文を読んで興味を持つ。そして彼らにそれほどいい計算機を  作れるのならその企画書を出してくれと言ってきた。二人はただちにENIAC  と名付けたそのシステムの企画を提出。弾道研究所は、これは十分役に立つと  判断してこの企画に予算を出した。そこでENIACは主として弾道の計算に特化  して設計されたのである。    1946年2月に完成したENIACは18000本の真空管で作られており、1秒間に5000  回の加算を実行することができた。これは従来の電動式の計算機の1000倍も  のスピードであった。プログラムはいわゆるプラグボード式で、プログラム  を仕込んだ回路板をセットすることにより、色々な処理に適合することが  できた。そして実際には陸軍はこの計算機を核兵器の開発のために使用した。    (プラグボード式のコンピュータは意外と後まで使用されていた。私も1985  年頃に某鉄道会社で実際に稼働しているものを見たことがある)    ENIACのプロジェクトが1946年10月に終わった後彼らは軍用飛行機メーカー  のNorthrop社に招かれて、同社の航空機設計用の計算機BINAC(1949)を完成  させた。    この時点で二人にとって計算機製作はもう「研究」ではなく「仕事」になっ  てしまっていた。そこで二人はこの計算機の製作のための会社  Electronic Control Company(後にEckert-Mauchly Computer Corporationと  改名)を設立する。会社組織になって最初に受注したのがNational Bureau  of Standardsの依頼により作ることになったUNIVACである。    ところがここで問題が生じた。技術者だけで作った会社が行き詰まることは  よくあるのであるが、二人は技術者以前の学者である。経営のことなどが  わかるわけがない。Eckert-Mauchly社は倒産し、Remington Rand Corporation  に吸収された。    Eckertはこの会社(Remington→Sperry→Unisys)にずっと勤め続けたが、  Mauchlyは1959年に退職し、Mauchly Aasociate社を設立し、1965年に引退して  会長になるまでこの会社を率いた。その後1968年からはDynatrend Inc.社、  1970年からは更にMarketrend Inc.社の社長を務めた。