JWA (Japan Weather Association) 日本気象協会 
 →JMA

【K】
K (kilo) 1000倍、または1024倍。また、KB(kilo-byte or kilo-bit),  KHz(Kilo-hertz), km(kilo-meter), kg(kilo-gram)などの略としても  使用される。
K (karat) 宝石の重さの単位。アメリカでは0.2グラム。イギリスでは0.205  グラム。ct とも。金の純度として使う場合24Kで純金になる。
K (Koechel) ケッヘル。モーツァルトの楽曲に付けられた番号。
K (kelvin) 絶対温度の単位。Kは摂氏(セルシウス)で、-273.15度C=0度K。
K (kitchen) 台所。不動産の部屋の構成を表す時の記号で 2K は二部屋に  台所が付いていることを表す。
Kシリーズ 富士通が展開していたオフコンのシリーズ名。1980年代オフコ  ンが輝いていた時代に、最も売れていたオフコンである。
K点 (Kritischer Punkt) スキーのジャンプ競技で、ここまでが飛べる限界  ですよ、これ以上飛ぶと危ないですよ、というのを表す点。ただしオリン  ピックやワールドカップではこれを越えないとメダルは取れない。
K&R (K&R Kernighan and Ritchie) Cの開発者であり、Cによるソフトの  書き方に関する、提言を行った、ブライアン・カーニハンとデニス・リッ  チー及び、彼らが共著した C の教科書を指す。
K2 (Karakhorum 2) カラコルム山脈にそびえる、世界第二の高峰。
K2 Adobeのプロ用レイアウトソフトInDesign開発コードネーム。同社の  PageMakerの上位ソフトで、Quark社のQuarkXpressの対抗ソフト。  InDesignは1999年3月に発売された。
K5 AMDが開発した、Intelx86系CPUの互換CPU。K5の 5 は 80586、  つまりPentiumと互換性があることを示す。当初は AM5K86 と呼ばれた。  ピンの配列的にも Pentiumの P54C と互換性があり、Pentiumマシンの  CPUを抜いて、これを差し込めば、即使用できる。
K6 AMDが開発した、Intelx86系CPUの互換CPU。元々はNexGen社が  開発していたものをAMDが買い取ったもの。MMX-Pentiumが備えているMMX  命令にも対応している。64KBの一次キャッシュ内蔵。PetiumやMMX-Pentium  が使用している Socket7に対応しているので、それからのバージョンアッ  プ用に使用できる。
K6-2 AMDが開発した、Intelx86系CPUの互換CPU。K6に更に3DNow!  を搭載して、グラフィック関係を強化したもの。Socket7対応。
K6-III AMDが開発した、Intelx86系CPUの互換CPU。K6-2に更に  256KBの2次キャッシュを内蔵。Socket7対応。K6-3 ではなく K6-III に  なったのは、Pentium-III に対抗したためと言われる。
K7 AMDが開発した、Intelx86系CPUの互換CPU。K7は開発コードネーム  で、実際にはAthlonの名前で商品化された。同項参照のこと。
K12 小学校から高校までの12年間の教育。
K56flex (56 kilo-bps flexible ?) 56Kbpsのモデムの規格で、Rockwell  Semiconductor Systems と Lucent Technologies が開発した。56kbpsの  モデム規格をめぐっては、この K56flex と US Roboticsの x2 が熾烈な  争いをおこなったが、最終的には両者を統一してV90という規格ができ  た。K56flexモデムの大半はプログラムの書き換えでV90モデムにアップ  デートできる。  →V.90
K56plus (56 kilo-bps plus) 56Kbpsのモデムの規格で Rockwell Semi-  conductor Systems が開発した。これをもとに Lucent Technologiesと  共同で K56flexが作られた。
K78 (Keycorp 78) Keycorp社が開発したポータブル決済端末。PHSに接続  して使用することができる。
KA (Kilo Ampere) キロアンペア。1000アンペア。アンペアは電流の単位。
Kaバンド (Ka band) 27〜40GHzの無線周波数帯。  →マイクロ波
Kage 「かげ」。2chブラウザの人気ソフトかちゅ〜しゃの作者が  メンテを終了してしまった後、それに2chの新機能に対応させることを  目的として作成されたエクステンダー・ソフト。このソフトのおかげで  かちゅ〜しゃはかなり長い時間、多くの人に利用され続けた。  作者のtripは◆DLL/lGHE。
Kahn,Philippe Borlandの創立者。TurboPascal, Sidekickの開発者。  1983年にBorlandを創立して同社を大きくしてきたが、1990年代に入って  経営に困難が生じると、責任を取って辞任。    その後Borlandからは離れてStarfish社を設立。Borlandから自分が開発した  Sidekickの権利を買い取り、これをLinux向けに改造して提供したりして  いる。Borlandからは引退しても、コンピュータ業界からはまだまだ引退  するつもりはないようである。
kakasi 「かかし」。日本語の構文解析システム。元々は漢字→かな変換を  するために開発されたものだが、その解析システムが優秀であるため、様々  なソフトからその機能を利用されるようになった。全文検索システムnamazu  などもkakasiを使用するのが標準的。  http://kakasi.namazu.org/
KAL (Korean Air Line) 大韓航空。
Kaleida AppleとIBMが共同で設立したマルチメディア関係のソフト技術を  開発するための会社。1996年解散。
KaleidoArt 日立情報ネットワークが開発したデジタル絵画のディスプレイ  システム。画架のような形の41inchのプラズマ・ディスプレイを搭載し、  銀行ロビーや百貨店などでの展示を想定している。
Kaleidoscope Greg Landweberが開発したMacintosh用のユーティリティで  Macintoshのデスクトップを自由にカスタマイズするもの。全体の見栄え  から、アイコン、マウスポインタ形状などを変更できる。
KALI 世界レベルのゲームネットワーク。http://www.kali.net
KanjiKit97_for_Windows パシフィックソフトウェアパブリッシィング社が  開発した、外国のWindows OS上で日本語が使えるようになるキット。
KASUMI (霞) 移動体通信向けの暗号化システム。三菱電機系の開発グループ  により開発された。
Katmai IntelPentium III開発コードネーム。同項目参照。  俗称「加藤舞」。
katana →刀
katana セガのDreamCast開発コードネーム
Kay,Alan (1940-) アラン・ケイ。Alan Curtis Kay. Dynabook構想の発案者。  20世紀のソフト技術の思想に大きく貢献した人を5人あげるしたら、多くの  人がこの人を確実に入れるであろう。  1940年Massachuetts州のSpringfieldに生まれる。家族はすぐに南洋に移住  するが、太平洋戦争での日本軍の攻撃が激しくなってきたため戦乱を避けて  アメリカに舞い戻った。少年時代は先生と衝突して(要するに彼のような  天才を理解できる教師はめったにいないのである)高校を退学になった後、  その美しいボーイソプラノを生かしてロックバンドを編成しボーカリスト  兼ギタリストとして活動。一時期はミュージッシャンを目指していた。  ところが1960年頃徴兵されて空軍に入ることになる。ここでもまた上官と  対立したが、その上官の一人が彼ほど頭がいい人ならコンピュータを覚え  れるのではないかと考え、彼に技術試験を受けることを勧める。その結果  彼は合格してIBMとの合同プロジェクトに投入された。    コンピュータの仕事にやりがいを感じた彼は空軍を除隊後、コロラド大学  に入り直し、ここで数学と細胞生物学を学びながらコンピュータに関する  深い考察をする。後のオブジェクト指向の思想は案外、生物の細胞から  来ているのかも知れない。1966年に同大を卒業、ユタ大学の大学院に進学  する。ここで彼はIvan Sutherlandと運命的な出会いをした。    サザーランドの授業に出てその先進的な思想の洗礼を受けた彼は自らが  あたためていた思想と合わせてDynabook構想を1968年にまとめあげた。    ユタ大学でPh.Dをとった後、彼はStanford大学の人工知能研究所でこの  アイデアを更に進化させSmallTalkを完成させる。1972年からはXEROXの  PARCに移り、ここで子供たちにこのSmallTalkのシステムを触らせると  いう実験をはじめた。この実験の中で彼はこどもたちが画像によく反応  することに注目。サザーランドが示唆していた画像の重要性を再認識する  に至る。この発想にもとづき作られたのがALTOであった。    彼はこのALTOは子供でも使えるとても便利なシステムであるとしてXEROX側  に強く商品化を働きかけるが、経営者たちの反応は冷たかった。もし1979  年(のたぶん春頃)にAppleのSteven Jobsらが偶然PARCを訪れていな  かったら、このシステムは完全に埋もれてしまっていたかも知れない。    JobsはちょうどApple社で新しいゲーム用コンピュータの開発を進めて  いた。その時、この画期的なシステムを見て、しかもそのシステムの開発  の経緯がそもそも子供達が自由に使えるようなコンピュータであることを  知り、このシステムをぜひAppleで開発しようと考える。そうやって生ま  れたのがLisa(多少不正確な言い方をすればMacintoshの前身)であった。    JobsはKay本人にもAppleに来ないかと誘ったようであるが、彼はXEROXに  義理立てして1981年まで同社に留まる。そしてその後Atari社に移籍した  あと、1983年にアップル社の Fellow となって、Macintoshのプロジェクト  を側面から支援した。    しかしその後のAlan Kay はむしろAppleとも距離を置くようになったよう  で、各地の大学で教えたり、子供向けのコンピュータ教室を開催したりする  一方で、好きな音楽の活動にも戻っている。近年ではパイプオルガンの演奏  で、かなり腕を上げているとのことである。