Kay,Alan (1940-) アラン・ケイ。Alan Curtis Kay. Dynabook構想の発案者。 
 20世紀のソフト技術の思想に大きく貢献した人を5人あげるしたら、多くの 
 人がこの人を確実に入れるであろう。 
 1940年Massachuetts州のSpringfieldに生まれる。家族はすぐに南洋に移住 
 するが、太平洋戦争での日本軍の攻撃が激しくなってきたため戦乱を避けて 
 アメリカに舞い戻った。少年時代は先生と衝突して(要するに彼のような 
 天才を理解できる教師はめったにいないのである)高校を退学になった後、 
 その美しいボーイソプラノを生かしてロックバンドを編成しボーカリスト 
 兼ギタリストとして活動。一時期はミュージッシャンを目指していた。 
 ところが1960年頃徴兵されて空軍に入ることになる。ここでもまた上官と 
 対立したが、その上官の一人が彼ほど頭がいい人ならコンピュータを覚え 
 れるのではないかと考え、彼に技術試験を受けることを勧める。その結果 
 彼は合格してIBMとの合同プロジェクトに投入された。 
  
 コンピュータの仕事にやりがいを感じた彼は空軍を除隊後、コロラド大学 
 に入り直し、ここで数学と細胞生物学を学びながらコンピュータに関する 
 深い考察をする。後のオブジェクト指向の思想は案外、生物の細胞から 
 来ているのかも知れない。1966年に同大を卒業、ユタ大学の大学院に進学 
 する。ここで彼はIvan Sutherlandと運命的な出会いをした。 
  
 サザーランドの授業に出てその先進的な思想の洗礼を受けた彼は自らが 
 あたためていた思想と合わせてDynabook構想を1968年にまとめあげた。 
  
 ユタ大学でPh.Dをとった後、彼はStanford大学の人工知能研究所でこの 
 アイデアを更に進化させSmallTalkを完成させる。1972年からはXEROXの 
 PARCに移り、ここで子供たちにこのSmallTalkのシステムを触らせると 
 いう実験をはじめた。この実験の中で彼はこどもたちが画像によく反応 
 することに注目。サザーランドが示唆していた画像の重要性を再認識する 
 に至る。この発想にもとづき作られたのがALTOであった。 
  
 彼はこのALTOは子供でも使えるとても便利なシステムであるとしてXEROX側 
 に強く商品化を働きかけるが、経営者たちの反応は冷たかった。もし1979 
 年(のたぶん春頃)にAppleのSteven Jobsらが偶然PARCを訪れていな 
 かったら、このシステムは完全に埋もれてしまっていたかも知れない。 
  
 JobsはちょうどApple社で新しいゲーム用コンピュータの開発を進めて 
 いた。その時、この画期的なシステムを見て、しかもそのシステムの開発 
 の経緯がそもそも子供達が自由に使えるようなコンピュータであることを 
 知り、このシステムをぜひAppleで開発しようと考える。そうやって生ま 
 れたのがLisa(多少不正確な言い方をすればMacintoshの前身)であった。 
  
 JobsはKay本人にもAppleに来ないかと誘ったようであるが、彼はXEROXに 
 義理立てして1981年まで同社に留まる。そしてその後Atari社に移籍した 
 あと、1983年にアップル社の Fellow となって、Macintoshのプロジェクト 
 を側面から支援した。 
  
 しかしその後のAlan Kay はむしろAppleとも距離を置くようになったよう 
 で、各地の大学で教えたり、子供向けのコンピュータ教室を開催したりする 
 一方で、好きな音楽の活動にも戻っている。近年ではパイプオルガンの演奏 
 で、かなり腕を上げているとのことである。 

KB (Kilo Byte) キロバイト。1000バイト、又は1024バイト。  →byte,KiB,MB
KB (Kilo Bit) キロビット。1000ビット、又は1024ビット。  キロバイトの方の KB と区別するために Kb と書く人もいる。  →bit,MB
KB (KeyBoard) キーボード。鍵盤。コンピュータや電子機器の操作卓、  また鍵盤楽器の鍵盤あるいは鍵盤楽器そのものを指すことも。バンド  の構成で KB と書かれていると、一般に鍵盤型のシンセサイザやピア  ノ・電子オルガンなどを弾く人を表す。
KB (Knowledge Base) 知識ベース。
Kbps (kilo bps) 1000bpsまたは1024bps。bpsは1秒間に1ビット、  伝送する通信速度。なお、byte per second を bps と略することは  まずない。bpsと書けば、まず bit per second である。  →bps,Mbps,octet
kcal (kilo calorie) キロカロリー。1000カロリー。カロリーは熱量の単位。
KCi (Kilo Curie) キロキュリー。1000キュリー。キュリーは放射能の単位。
KCMS (Kodak Color Management System) コダック社が開発したカラー  マネージメント・ソフト(プリンタ・スキャナ・ディスプレイの色調を  統一するソフト)。
KCOM (KDD COMmunication) KDD系のプロバイダ。http://www.kcom.ne.jp
KD-96 (Kyoko Date 96) 仮想タレント「伊達杏子」(DK96)の開発コードネーム。  ホリプロが開発し、歌は同世代の歌のうまい歌手から採り、モーションは  アメリカのプロ・ダンサーの動きをキャプチャーした。1996年8月デビュー。
KDC (Key Distribution Server) 鍵配布サーバー。kerberosにおいて、  認証のための鍵を管理し、配布するサーバー。
KDD (Kokusai Denshin Denwa co.ltd) 国際電信電話株式会社。かつて日本  の国際通話を独占的に提供していた電話会社。通信事業の自由化以降は  他に国際通話に参入する会社が現れたが、逆にKDDも国内通話に参入した。  →KDDI
KDDI (KDD + IDO + DDI) 日本の大手電話会社。2000年10月に  KDD, IDO, DDI の三社が合併して生まれた。子会社に携帯電話会社  のauがある。  まずはこの合併元の企業について概観する。  KDD(Kokusai Denshin Denwa co.ltd) 国際電信電話株式会社。   1953年に設立された国際電話サービスのための電話会社で、1989年まで   は日本の国際電話は全てKDDが取り扱っていた。  IDO(nippon IDO tsushin corporation)日本移動通信。   1987年に設立された携帯電話会社。日本高速通信の子会社。   主な出資者はトヨタ自動車と東京電力・中部電力。サービス地域は関東と   中部。これは政府の指導により全国規模の展開が認められなかった為だが   1992年にはセルラーとの相互ローミングが実現され全国で使える電話となった。     なお親会社の日本高速通信(テレウェイ,TWJ)は全国の高速道路に埋め込まれた   光ファイバーを使って電話サービスを提供する会社で、1984年に設立され   1987年から長距離電話サービスを提供していたが、1998年にKDDに吸収された。     DDI (Daini Denden Incorporated) 第二電電。   1984年に京セラが中心になって設立され1987年からサービスを開始した   電話会社。1987年には携帯電話会社 セルラー を各地の電力会社と共同   で立ち上げ、関東・中部以外の地域で展開した。1992年にはIDOとの相互   ローミングが実現され全国で使える電話となった。    この合併は200年の大きな話題となったが1998年のテレウェイ吸収からの  自然な流れということができよう。    電話業界では1997年頃からかなりの再編が行われている。主なところでは     1997.日本テレコムが日本国際通信(ITJ)を吸収   1998.KDDが日本高速通信を吸収   1998.DoCoMoがNTTパーソナルを吸収   1999.日本テレコムと日産自動車が共同設立していたデジタルツーカー      の日産側持ち株が日本テレコム(デジタルホンの親会社)に売却      される。また日産自動車が単独で設立していたツーカーセルラー      の株は DDI に売却される。   1999.イギリスC&W社が国際デジタル通信(IDC)を吸収   2001.日本テレコムの株主であったイギリスBT社が株式をvodafoneに      売却。これにより日本テレコムおよびJ-Phoneはvodafoneの      事実上の子会社となる。   2006.ソフトバンクが日本でのvodafone事業を買収。   KDD と DDI の合併は自然だし、市場での競争を考えると必然でもあった   のだが、ここに IDO が加わっているのはやや奇異な感じがする。本来で   あれば IDO は セルラーと合併して au となるべきであったが au は   セルラー各社の合併のみで作られた。ただ最終的にはこの付近は調整され   るものと思われる。