活字 (かつじ,type) 印刷で用いられる1文字ごとの型。文字の形が(鏡文字で) 
 浮き彫りされており、それを並べて1ページ分の「版」を作り、その表面に 
 インクを塗り、紙に接触させて印刷をおこなう。 
  
 このため、原則として(同じ書体の)全ての活字は文字自体の大小に関わらず 
 同じサイズでなければならない。また文字の形に浮き彫りされた向こうには 
 ある程度の長さの角柱状の部分(ボディ)がある。 
  
 なお活字はかつて書籍印刷技術の代表であったので本などの出版物を作ることを 
 「活字にする」と言い、評論家が「活字に親しんで欲しい」などと主張したり 
 するが、そこでいう「活字」とは活字そのものではなくそれを利用して作った 
 印刷物のことである。「活字に親しむ」というのは別に合金製の活字に触って 
 欲しいという意味ではない。なお、現在日本では活字による印刷はほとんど 
 行われておらず、書籍の出版はもとより、名刺やハガキなどの印刷も全て 
 コンピュータによる組版かもっと簡易なDTP(机上出版)によっている。 
  
 ※活字誕生の伝説 
  活字が発明される前は印刷物を作る場合、1枚分の文字を全て木の型に彫って 
  いた。ある時、その作業を任された印刷屋の弟子が、あと少しで1枚分完成 
  するという時になって間違ってしまった。当然全部やり直さなければならない。 
  頭に来た弟子はその失敗した型を文字ごとにバラバラに切ってしまった。 
  ところがそのバラバラになった型を見ているうちに、これをきれいに並べて 
  ずれないように押さえておけば、印刷に使えるのではないかと思いついた。 
  
 この話はあまりにも良くできていて、チーズの誕生・豆腐の誕生などと同様の 
 後世の人が考えた伝説という感じがしてならない。 
  
 活字が発明されたのは中国であるが、今日資料などにより最古の活字ではないか 
 とされているのは11世紀の畢昇という人が考案したもので「膠泥活字(こうでい 
 かつじ)」と呼ばれているものである。これは陶器で作った(粘土に彫って焼いた) 
 活字を鉄板の上に蝋などを塗ったものの上に並べ、下の鉄板を暖めて柔らかくした 
 状態で上から別の鉄板で押さえて文字の高さを揃えるというものであった。 
  
 木製の活字が生まれるのはその後であるが、木の活字はインクを吸収してしまう 
 上に弱いので大量印刷には向かなかった。13世紀になると朝鮮で青銅製の活字が 
 使われているが金属活字の技術は15世紀にドイツでグーテンベルグにより完成される。 
  
 ヨーロッパでは1886年にlinotypeが発明されて活字を効率よく使える 
 ようになったが日本では1924年に写真植字機が発明されて逆に活字の 
 利用は減り始める。日本や中国などでは文字の数がひじょうに多いため 
 印刷出版を行おうとすると、欧米に比べて遙かに大量の活字が必要なので 
 ある。活字が中国で生まれたもののヨーロッパで発達したのは文字セット 
 の数の問題もあるといわれる。しかし写真植字機はこの問題を解決し、 
 この機械を作った写研とモリサワはその後多数のフォントを開発していく。 
  
 その後、1970年代に入ると朝日新聞がコンピュータによる組版システムを 
 開発し、1980年代にはワープロが普及して、写植機自体の価格も下がって 
 きて1990年代には、印刷はパソコンで QuarkXpressPageMakerを 
 使ってデータを作り、Linotype製のタイプセッターで版を作って 
 印刷機に掛けるもの、という概念が確立した。このパラダイムの変化に 
 より「活字を組む」現場は、印刷所から文書作成者の手元(のパソコン) 
 へとやってきた。 
 活字はその後、日米欧などでも20世紀末近くまで一部では使用されていた。 
 現在でもその設備を維持している印刷会社は少数あり、コンピュータ製版 
 ではなく活字で名刺を作ったり本を出版したいマニアなどの注文を受けている。 
  
 ※漢字と活字 
  漢字の活字は東洋だけで発達したのではなく、東洋文化に触れたヨーロッパ 
  人たちの貢献も大きい。初期の頃、一部の印刷所では、全ての漢字の活字を 
  作るのは無理だと素直に諦め、部首ごとの活字を組み合わせて文字を構成 
  する方法を考案した。ただこの手法ではどうしても文字のデザインが悪かった。 
  
 ※日本の活字 
  日本に活字が導入されたのは安土桃山時代である。イエズス会の宣教師 
  たちが日本で聖書を普及させるために漢字活字(+自主制作したカタカナ 
  活字)を使用した印刷を行った。「ハジメ、カシコキコトゴザル」の世界 
  である。また豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、陶工などと共に活字技術者も 
  日本に連行され、金属活字の技術が導入されたが、日本の風土には合わず、 
  結局江戸時代は1枚の木版に全面彫りする木版画の技術が発達して、 
  浮世絵文化の隆盛を呼んだ。 
   
  明治時代になって改めて西洋式の活字が導入され、築地活版製造所などの 
  活動によりやっと普及しはじめる。日本で活字の普及が遅れた最大の原因 
  は連綿の習慣である。文字が独立しておらず、つながり具合によって 
  文字の変形も行われるため、これを活字で処理するのは困難であった。 
  安土桃山時代には、連綿活字の制作を試みた者もあったが後続がなかった。 
   
  明治時代になって、漢字に関しては中国で使用されていた明朝体を 
  導入するが、当時の印刷技術者たちが頭を悩ませたのが「ひらがな」で 
  あった。まだ漢字やカタカナは経典などで1文字ずつ独立させて書く 
  書き方が存在したが、ひらがなは連綿せずに書くという習慣はない。 
  そもそもが漢字の草書体から発展したものである。 
  いろいろ試行錯誤の末、寺子屋で子供にひらがなを教える時に使われて 
  いた手本に注目し、そこで使われている字体がひらがなの「基本字体」 
  ではなかろうかという考えに基づき、ひらがなの活字が作られたが、 
  当時はかなりの違和感を感じる人もあったのではないかと思われる。 
   
  今ではむしろひらがなを連綿で書ける人の方が少ないが、1文字ずつ 
  独立したひらがなを使用した文書というのは明治時代に生まれた新しい 
  概念なのである。 

活線挿抜 (かっせんそうばつ, hotswap) コンピュータシステムの電源を  入れたまま(運用しながら)、ケーブル・ボード・ハードディスク等を  抜いたり挿したりすること。ホットスワップ。    1970年代頃まではコンピュータシステムは電源を入れる順序なども決ま  っており、稼働中の抜き差しなど、あり得ない話だったが、今日では  ノンストップ運用のシステムは企業ではむしろ普通になってきているし、  パソコンの場合は一般の人が家電感覚で使用するため、ソフト稼働中に  いきなり電源を落とされたりする世界なので、ケーブルやカードの  運用中の抜き差しができないというのはそちらの方がマズイという  状態になってきている。    周辺機器のケーブルにしても1990年代前半まで主流だったSCSIは  取り扱いが面倒で、運用中に抜くとシステム自体がダウンする場合も  あったが、USBでは、ビデオデッキのテープを交換するような感覚  で自由に抜き差しができるようになっている。  →プラグアンドプレイ,フォールト・トレラント