大川功 (おおかわいさお) CSKの創業者。 
 日本のIT産業における卓越した経営者のひとりであり、その経営手腕と 
 実績は独立系企業の中では、大塚商会の大塚実、ソフトバンクの孫正義 
 らと並び、大きく輝いている。 
 1926年5月19日、大阪市浪速区に衣料品販売業の家の次男として生まれる。 
 早稲田大学卒業後、タクシー運転手などを経て1962年大阪計算代行取締役 
 就任。更に日本計算センターの取締役を経て、1968年10月7日に 
 CSKの前身となるコンピュータサービス株式会社を設立。給与計算システム 
 などのような小さなシステムの受注から少しずつ経営を拡大。やがて 
 東芝や松下などの大企業からシステムの構築や運営を受託するに至る。 
 技術だけで経営力のない人の多いコンピュータ業界の中でひときわ目立つ 
 しっかりした展望と経営手腕を発揮して1980年には同社を株式店頭公開に 
 までこぎ着けた。(1985東証一部上場) 
 1984年にはゲーム業界が今後有望であることを先見してセガを傘下に 
 組み込んで同社会長に就任。同社の大きな発展に寄与した。1987年には 
 プリペイドカードの時代の到来を予見して日本カードセンター 
 (現Quoカード)を設立、同社社長に就任。また1998年には経営危機に 
 陥っていたアスキーに支援を開始し、同社の再建に尽力した。 
 2001年にセガがDreamCastから撤退した時には私財で損失補償をしている。 
 1988藍綬褒章。1996年早稲田大学名誉理学博士・勲三等旭日中綬章受章。 
 2000年7月に癌が発見され入院するも「もう治った」と言ってすぐに職務 
 に復帰。しかし2001年3月16日心不全のため死去。享年74歳。 
 なお現在Quoカードの社長を務め、セガのDreamCastのテレビCMでも有名に 
 なった湯川英一は大川のパートナーとも言うべき人でありCSKの社員番号 
 2番であった。 

大川センター CSKの創業者の大川功が2001年に関西文化学術研究都市に  設立した、子供たちに先進のIT技術を体験してもらうための施設。  同社のCAMP活動の拠点となっている。
大河内勝司 (おおかわちかつじ) Macintoshの初期からのフリークには  絶対に忘れることのできないソフトSweetJAMの開発者。  エーアンドエー社に在籍。のち同社取締役。    当時の正式の日本語OS「漢字Talk 1.0」では英語版のソフトがまともに  動いてくれなかったため、英語版のOSにアドオンする形で、日本語の処理  と日本語フォントを添付したのがSweetJAM(当初の名前は「日本語OS」)  であった。JAM は Japanese Attachment for Macintosh である。    その後正規のMacintoshの日本語OSの方もだんだんまともにはなってきた  が漢字Talk 6.x 頃までは英語版のソフトでは日本語の表示ができない  ことが多かった。そのためSweet JAM はだいたいその頃まで多くの  人に利用されている。
大阪 (おおさか,Osaka) Macintoshの日本語フォントの中で標準書体の地位  を占めてきた書体。基本的にはゴシック系のフォントであり、後に明朝体  系の京都というフォントも追加されたが、そちらはTrueType時代になっ  てから消滅した。
太田昭和監査法人 1985年10月に監査法人太田哲三事務所と昭和監査法人が  合併して成立した監査法人。2000年4月にセンチュリー監査法人と合併  して太田昭和センチュリー監査法人となった。
太田昭和センチュリー監査法人 2000年4月に太田昭和監査法人と  センチュリー監査法人が合併してできた監査法人であるが、2001年7月  に新日本監査法人と改称した。  http://www.shinnihon.or.jp
大塚商会 (おおつかしょうかい) 日本最大級のシステム販売会社。  1961年大塚実が設立。    中小企業を中心とした企業のコンピュータシステムの導入・保守で大きな  営業成績をもつほか、1990年代には個人向けのパソコンショップαランド  を全国展開して、特に1990年代半ば〜後半のWindowsブームでも個人や  中小企業の大きな支えとなった。    同商会の設立経緯と歴史については大塚実の項、参照のこと。
大塚実 (おおつかみのる) 大塚商会の創業者。1922年10月9日栃木県益子町出身。  中央大法学部を1944年の学徒出陣により卒業。戦後1947年に理研光学(現リコー)  に入社。その後、理研紙工業、ルミナ閃光電球、山本商会、と系列会社を渡り  歩きながら、営業マンとして優秀な成績をあげる。しかし成績が上がるにつれ  上司との対立も増えていったという。1961年市村清社長(リコーの創業者)に  退陣を求めてストライキを決行。敗れて会社を辞め、独自に大塚商会を設立した。  事務機器(特にコピー機)の販売を手がけるが、大企業には大手が入り込んで  いる上に入金が遅く、資金力の無い身にはきついので、中小企業に機器の実物  を見せて即金で販売する手法で営業活動をするも、これが結果的にこの会社を  大きく成長させることになった。1969年には亡くなる直前の市村リコー社長と  和解してリコー製品も取り扱うようになる。  1970年代になるとセイコーの構造計算機の取り扱いから進んでUSACのオフコン  を取り扱い始めるが、内田洋行側が取引条件を厳しくしてきたため、他社へ  の乗換を検討。ちょうど当時、強い販売店網を持たず、良い条件で契約すること  のできた日本電気のオフコンを販売することになった(1976)。これが同商会を  大きく飛躍させることになるとともに、日本電気にとっても大きなビジネスと  なった。  1980年代にはパソコン事業、ネットワーク事業などにも手を染め、1990年代に  はαランドを作って店舗での個人向け販売も始める。2001年7月19日社長職  を長男の大塚裕司に譲って、第一線からは引退した。  社団法人日本コンピュータシステム販売店協会会長などの業界の要職も歴任。  2002年経済産業省大臣賞受賞。  CSK大川功と並び、1970〜1980年代の「OA化」時代に大きな貢献をした  人物である。紫綬褒章くらいあげて欲しい。
大番頭 (おおばんとう) ミルキーウェイが制作販売していた財務会計ソフト。  同社が1997年に弥生会計を制作販売していた日本マイコンとともに  インテュイットに吸収されたことから事実上消滅した。ただ、一部のコンセ  プトはその後の弥生会計の中にも生かされている。
オーガナイザ →Lotus Organizer
オキシライド乾電池 (Oxyride battery) アルカリ乾電池の次世代の乾電池と  して注目されている乾電池。オキシ水酸化ニッケル(Oxy-Nickel Hydroxide)を  正極材料として使用していることから、Oxyrideの名前が出ている。アルカリ  乾電池の1.5倍の性能があるとされる。松下が開発した。
沖電気工業 (おきでんきこうぎょう) 日本最初の電子通信機器メーカー。  1881年(明治14年)に創業した老舗である。創業者は沖牙太郎(1848-1906)。    コンピュータ業界では最初通産省の指導で三菱と共同で大型コンピュータを  製造していたがのちに撤退。その後ワークステーションの Oki Station や  パソコンの if シリーズを販売していた。現在この分野では if Server など  のサーバー製品を販売している。