圧縮 (あっしゅく compress) データの容量を小さくすること。 
 基本的には圧縮された状態から元の状態を完全に復元できる可逆圧縮 
 と完全には戻らない非可逆圧縮とがある。 
  
 LHa,ZIPなどのファイル圧縮ソフトが実行しているのは可逆圧縮で 
 あり、画像ファイルの中でJPEGは非可逆圧縮をおこなっている。 
  
 なお圧縮したものを元に復元する作業は俗に解凍と呼ばれる。 
  
 圧縮をおこなう目的は、限られた記憶装置の容量の中にできるだけ多くの 
 データを詰め込むことで得られる経済的な問題と、ディスクからメモリーへ 
 また通信回線上で高速に転送できるようになることから来る操作性改善の 
 問題とがある。 
  
 圧縮の基本的なテクニックは次の4種類であり、多くの圧縮方法はこれら 
 を上手に組み合わせたものである。 
  
 (1)同じデータが連続している時に繰り返し表現に置換する。たとえば 
   00000000 を 0×8 のように書く。(ランレングスという) 
 (2)頻繁に出現するパターンを辞書化して、短い記号で表す。たとえば 
   「なのである。」という文字列がすさまじく頻繁に出てくる場合 
   これを辞書に登録して 2〜3ビットで済ませてしまう。 
   (LHaやZIPで使用されているHuffman符号化はこの進化したもの) 
 (3)データの絶対値を取る代わりに隣のデータとの差分を使用する。 
   (ADPCMなどで使用されている) 
 (4)動画で完全に記録するフレーム(キーフレーム)の間隔を広げ、 
   途中のフレームは前後のフレームからの推測で補間する。 
 →アーカイバ,Huffman符号,ADPCM,CODEC

圧縮ソフト データを圧縮するソフトの総称。   単体でファイルを記録や転送用に圧縮するソフトはアーカイバと言う。   また動画の圧縮をおこなうロジックはCODEC(コーデック)と言う。   その他にデータを格納するディスクをまるごと圧縮するソフトや、   システム上に常駐してファイルを読み書きするたびに介入して   圧縮/解凍をおこなうタイプのソフトもある。     Windows95以降のOSにはディスクドライブ全体を圧縮する機能が入って   いるが、よほどディスクの容量が苦しくかつ、増設ディスクを買う経済的   な余裕が全くない場合を除いて、圧縮すべきではない。     システムに常駐して介入するタイプの圧縮ソフトとしてはMSDOS時代の   dietなどが有名である。
アットマーク (at mark) @のこと。
アップ (up) アップロードの略。
アップグレード (upgrade) ソフトウェア或いはハードウェアをより機能の  高いものに改訂・置換すること。日本ではバージョンアップともいうが、  英語では upgrade でないと通じないようである。  →バージョン,リリース,クロスアップグレード
アップショット (up shot) クローズアップ・ショットの略。
アップストリーム (up stream) 端末からセンターに向けて流れるデータや  信号の流れ。
アップデータ (updater) アップデートを自動的におこなうための  プログラム。昔はソフトウェアを更新する際は、改訂されたプログラムだけ  提供されて「これをどこどこのディレクトリに入れて下さい」などと書かれ  ていたが、最近はその設定作業まで自動的にプログラムでおこなうように  なっているものが多い。
アップデート (update) 主としてソフトウェアを新しいものに置き換えて  不都合を直したり、小さな機能の追加をしたり、新しい機器に対応させたり  すること。大幅な変更がある場合はアップグレードと呼ばれることが多い。  一般にソフトメーカーは、アップデートは無料で行い、アップグレードは  有償とすることが多い。  →バージョン,リリース,パッチ
アップ・ブラウザ (UP browser) アメリカのUnwired Planet社が開発した  小型情報機器向けのインターネットブラウザ。UPは Unwired Planetの  頭文字である。auの携帯電話に採用されていた。
アップリンク (up-link) 上に向けて送る信号のこと。  放送では、放送局から通信衛星・放送衛星に送る信号をup-linkという。  ADSLでは、利用者のパソコンからネットワークへと送られる信号を  up-linkという。  イーサネットではハブをカスケードしている時に、下位のハブから  上位のハブへつなぐ信号線をup-linkという。
アップル (Apple) 現存のパソコンメーカーの中で最も老舗のメーカー。  Apple IIMacintoshなどの製品で知られている。  1975年夏、Hewlett Packardに務めていたSteve Wozniakはたまたま  通りかかったビジネスショーで見かけた超特価のCPU 6502 (約6000円)  に魅せられ、これを買ってきてそれを元に自作のパソコンを制作した。  それを見た友人のSteve Jobs(アタリ勤務)はこれがビジネスになる  と直感。町のショップに持ち込んで販売を依頼する。ショップの店主は  そのパソコンの機能の優秀さは認めたものの商品にするには問題が幾つか  あるとして多くの助言をしてくれた。その助言を元に二人は更にパソコン  を改良していく。    この商品がショップである程度売れたため、Jobsは大規模に販売すること  を考え、1976年7月、勤務先のアタリの社長Nolan Bushnellに掛け合うが  Bushnellはもう秋には会社を辞めるつもりでいたことから、自分はそれ  には乗らないと言い、代わりに知人を紹介。その知人がIntelの株主で  あった Mike Markkula を紹介してくれたため、Markkulaの出資により  1977年1月1日 Apple Computer 株式会社が設立された。  Wozniakが制作したパソコンは社名と同じ Apple の名前で呼ばれ、初期の  Apple Iから改良型のApple IIへと進化する。Apple II には普通の人  でも利用できるような配慮がなされていたため、一般にはこのマシンを  「世界初のパソコン」と呼ぶことが多い。  Apple は順調に業績を伸ばしていたが、ゲームマシンのAtariが好調な業績  を持っていたことから、Appleでもゲーム用のマシンを開発しようという  提案が社内でなされた。しかしこのプロジェクトは巡り巡って結局、ゲーム  に限定せずに、普通の人がコンピュータの知識などなくても使えるパソコン  を作ろうという企画に生まれ変わりXEROXALTOを参考にしてLisaを  作り上げる。しかしこれが営業的に大失敗に終わった。    JobsはLisaの失敗の責任を取って社内のラインから外れ、数人の部下と共に  また新しいコンセプトのマシンを作り始めた。これがMacintoshで、一般  にはLisaの後継とみなされるが、機能的には似ていても、制作思想が全く  異なるマシンである。この頃、Jobsはペプシコーラの副社長John Sculley  を社長としてスカウトしてきた。Macintoshの成功は、コーディネーターと  してのJobsのバランス感覚と、このマシンのグラフィック部分のコアを作成  したBill Atkinsonの天才的な才能、そしてSculleyの卓越した営業センス  がうまく噛み合ってなされたものである。    ところがこのMacintoshの成功をあまり喜んでいない人物がいた。Jobsの  最大の親友である Wozniakで、彼は純粋なコンピュータ技術者としての観点  から限りあるコンピュータのCPUの性能を「無駄としか思えない」ユーザー  インターフェイスのために振り分けるのは反対で、それをやめてシンプルな  インターフェイスにすれば、その分高速なマシンが作れると考えていた。  (私も1975年頃まではこういう思想だったのでこのWozの気持ちが分かる)    やがてWozniakはMacintoshを推進するSculleyと対立するようになり、結局  1985年、Wozniakはアップルを去ることになる。この騒ぎに巻き込まれて  Jobsも一緒にアップルを辞めてしまい、アップルはこの年、創業者が揃って  退任するという異常事態に見舞われた。    しかしアップルはMacintoshが好調に売れ続けたため、Sculleyのもとで  どんどん成績をあげていく。この1988〜1992年頃がアップルの黄金時代で  ある。この時期、Macintoshがビジネス的に成功したもうひとつの要素で  ある新世代の表計算ソフトExcelをアップルに提供したMicrosoftの  Bill Gatesは、このOSをIntel社のCPUに載せ替えることを勧める。  (Pinkプロジェクト)    当時MicrosoftはIBMとのOS/2のプロジェクトが行き詰まり、新たなパー  トナーを模索していた。もしSculleyがこの話に乗っていれば、Bill Gates  は当時混迷していたWindowsの開発を中止させていたであろうし、結果的に  現在世界中のパソコンで最もよく動いているシステムは Pentium 上で動く  Macintosh OS ということになっていたであろう。    しかし当時SculleyはCISCを作り続けるIntelの先行きに不安を感じていた。  しかしMacintoshが使用しているモトローラの68000系のCPUは確実に性能向上  の限界に到達しており、新しいCPUに載せ替えなければならないのも事実で  あった。当時はモトローラが新たに制作していた88000というRISCに載せ  替えることが検討されていた(Hurricaneプロジェクト)。    ここに割り込んできたのがMicrosoftとのパートナー関係を解消してやはり  新たな提携相手を求めていたIBMであり、IBMはSculleyに盛んに同社のCPU  Powerを勧める。結局SculleyはここでIBMの提案を受け入れてしまうのであ  る。これがMacintoshとAppleにとっての大きな運命の分れ道となってしまった。  IBMはPowerにこれまでMacintoshのCPUを制作していたモトローラが要望する  機能を加えたPower-PCという特殊なCPUを作り、MacintoshのOSはPowerPC  に載せ替えられることになった。    この頃、Appleの社内ではMichael Spindlerが会社の実権を握るようになっ  てきていたため、Sculleyは彼に社長の座を譲って引退する。ところがこの  Spindlerの元でAppleは冬の時代に突入するのである。    これまで68000系のCPUで動いていたMacintosh OS を全く別のCPUである  Powerに載せ替える作業は思った以上に困難を極めた。開発は遅れに遅れ  結果的にMacintoshはこの時代に、やっと安定して動くようになってきた  MicrosoftのWindowsに機能と速度の面で抜かれてしまうのである。    PowerPCを使用したPower Macintoshは1994年に発売されるが、当時は  もう既にパソコンといえば、IBM-PC互換機上で動くWindows 3.1という  のが定番になっていた。Windows 3.1 はパソコンを本当の意味で一般の  人に普及させたOSであるが、Macintoshはこの競争に出遅れてしまった。  更に1995年にマルチタスクが利用可能となったWindows95が登場すると、  Microsoftの巧みな宣伝も当たって、パソコン=Windowsマシンという  意識が消費者の間に形成されてしまう。この頃からそれまでMacintosh  しか使っていなかったデザイナーたちの間で、安価なWindowsマシンでも  いいじゃないかという動きも出始め、更にMacintoshの次期OSの開発作業  が著しく遅れたこととHypercardの無償バンドルを愚かにも中止したこと  などで、それまでのMacintoshファンもどんどんAppleを見放し始めた。    会社は大きな赤字を計上し、何度も出ては消える身売り話に社員も動揺  しつづけ、やがてSpindlerは解任された。そして今まであちこちの会社  の再建をしてきた Gilbert Amelio が新しい社長に就任した。    Amelioは社内のシステムの開発状態を調査して「開発中の次期OS」は  事実上商品にならないと判断。開発を中止させ、創業者のSteve Jobsが  アップル退任後作っていたNeXT社を買収して、このNeXTのOS(Unix系OS)を  新たなMacintoshのOSとして搭載させることを決めた。そしてJobs自身も  アップルに戻ってくることになった。これらの道筋を付けた上で  Amelioは後のことをそのJobsに頼んで、アップルから去った。    アップルは創業者が復帰したことで活気を取り戻し、Jobsは新しい試みと  なったパソコンiMacや音楽プレイヤーiPodなど、消費者の目先を変えて  興味を引くシステムを次々と市場に送り出し、離れていたアップルファンを  かなり呼び戻すことにも成功する。そしてさすがに大きく水をあけられた  Windowsやどんどん利用者が増え続けるLinuxなどに対抗する事は不可能  ではあっても、新たに音楽のノンパッケージ配信の事業にも取り組むなど、  常に新しいものを模索し続けている。