アスキー (ASCII, Anatano Sukina Computer Isshoni Iikoto simashou) 
 西和彦らが設立した、1980年代から1990年代前半を代表する日本の 
 ソフトハウス。当時、西和彦はハドソンの工藤裕司、ジャストシステム 
 の浮川和宣とともに「日本のソフト界の三羽烏」と称された。 
 西和彦は早稲田大学在学中の1976年8月、CQ出版社にいた星正明らと 
 ともに「日本マイクロコンピュータ連盟」を結成。同年12月にこの 
 二人に郡司明郎が加わって日本初のマイコン専門誌「I/O」を創刊 
 した。この雑誌の初期の編集室は西の自宅である。 
 1977年5月には西と郡司に、元電通の塚本慶一郎を加えた3人で 
 「アスキー出版株式会社」を設立。翌月から月刊誌「アスキー」を 
 発行する。なお翌1978年には古川亨が加わった。 
 西は1977年には渡米してDigital Researchを訪れ、CP/Mの64人目の 
 ユーザーとなっていたが、1978年2月には今度は突然Microsoftの本社前 
 にヘリコプターで降り立ち、まだ当時は海の物とも山の物とも分からない 
 存在であったMicrosoftのビル・ゲイツと意気投合。BASICの販売代理店に 
 なる。このあと両者は提携関係を進め、西が1980年にMicrosoft副社長に 
 就任、1983年には共同でMSXの開発(1983)などをおこなうが、やがて 
 Microsoftが急成長する中で路線の違いが出てきて1986年2月5日、西は 
 Microsoft副社長を辞任。両者の提携関係は事実上解消された。この時 
 ビル・ゲイツがアスキーにMicrosotの子会社にならないかと打診し、 
 それを西が蹴ったのが決裂の原因という説もある。 
  
 Microsoftは同年4月2日、独自に日本法人を設立。この社長に就任した 
 のは、アスキー取締役からヘッドハンティングされた古川亨であった。 
 ただ当時はMicrosoftとアスキーの提携解消のことを知らない人も多く、 
 古川のマイクロソフト社長就任を、アスキーとMicrosoftの更なる提携 
 の進展の象徴と思いこんでいた人も多かった。当時は今のようにネット 
 がある訳ではないので、こういったニュースの伝わる速度はとてつもなく 
 遅かったのである。なお、古川がマイクロソフトに移る時に、成毛眞など 
 約20名ほどのメンバーも一緒に移籍している。 
  
 一方アスキーは1985年5月には日本初の商用パソコン通信サービスである 
 「アスキーネット」をたちあげ、このネットはパソコンマニアの人達に 
 かなり支持されたが、パソコン通信がやがてニフティ,PC-VANの二大 
 ネットに集約されていく中で会員数が伸びず、1997年8月24日、サービス 
 を終了している。 
  
 アスキー製のソフトとしては、ワープロソフトの「JS-WORD」,  
 カード型データベースの「The Card」,グラフィックソフトの「Candy」, 
 表計算ソフトの「Wingz」などのほか、「ウィザードリィ」や「ローグ」 
 「オホーツクに消ゆ」などのゲームソフトがあった。概してアスキーの 
 パソコン用ソフトにはマニアっぽくて、ちょっと変な機能があったりして 
 面白いのだが実用性を考えると若干疑問があったり、あまり素人のユーザー 
 のことは考えていないようなソフトも多かった。 
 アスキーは出版部門、ソフト部門のほか半導体事業なども行っていたが 
 この半導体事業がかなりの赤字を出していた。これが問題であるとして 
 創業メンバーの塚本慶一郎と郡司明郎は西に撤退するよう要求していたが 
 折り合わず、結局1991年、ふたりはアスキーを去ることになる。 
 その塚本が設立したのがインプレスである。 
 1996年4月、アスキーは不振のソフトウェア部門の大半をサムシンググッド 
 に売却し、出版部門に営業内容を特化した。なおアスキーのソフトウェア 
 部門を吸収したサムシンググッド社は後にアイフォーになっている。 
  
 一方のアスキーはその後も財務体質がなかなか改善せず1998年には不振の 
 責任を取って西和彦は社長を辞任して取締役副会長に退きCSKの支援を 
 受けて経営の再建に取り組むことになる。そして再建が一段落した 
 2001年5月11日、西は取締役も辞任して特別顧問に就任。アスキーの経営 
 から事実上離れた。 
 西はその後フリーの立場で動いていたが2002年4月に、あめぞう氏と組んで 
 1chTVを立ち上げるなどの活動をしている。 

アスキーアート (Ascii Art) 文字絵のこと。文字の配列で作った絵。
アスキーコード (Ascii Code) →ASCII
アスキーセーブ (ASCII Save) プログラム(特にBASIC)を文字形式でファイル  に保存すること。BASICプログラムは一般に、アスキー形式でのセーブと  バイナリー形式のセーブ、そして保護モードでのセーブが可能である。  保護モードでセーブしたものは(作成者にも)ソースを読むことができない  ので、プログラム配布用に使用される。バイナリーセーブが標準だが、  アスキーセーブは外部のテキストエディタなどでソースを変更したい時や  他のシステムにソースを持っていきたい時などに使用する。
アスキーネット (ASCII Net) アスキーが運用していたパソコン通信。  1985年5月に試験運用を開始した。大分のコアラと並ぶ、日本初の商用  パソコン通信サービスであり、1996年頃には会員数12万人であったが、  その後ネットの人口は、ニフティ,PC-VANの二大ネットに集約されて  いくとともにインターネットが隆興して、パソコン通信自体の需要が落ち  ていき、1997年8月24日、サービスを終了した。
アスキーファイル (ASCII file) 普通に読める文字だけで構成された  ファイル。テキストファイルなど。    基本的には、20〜7eのアスキー文字, a0〜dfの「カタカナ」  および日本語文字と、0d(復帰), 0a(改行), 08(バックスペース),  09(タブ), 1a(EOF)の基本制御文字のみで構成されるファイルのこと。
アスキー文字 (ASCII character) 狭義には16進で20〜7eの範囲の文字を  いうが、広義にはそれにa0〜dfの「カタカナ」と日本語文字を加えた  ものもいう。
アスタリスク (asterisk) のこと。
アステル (astel) PHSの事業者グループのひとつ。「アステル」は  公式には Advanced Style TELecommunication の略であるが、  「明日(あす)の電話(telephone)」の語呂合わせにもなっている。  1994年頃から各地で設立され1995年10月1日にアステル東京が営業開始。  その後1996年4月までに全国をカバーした。主な出資元は地域の電力会社  と三井物産・三菱商事など。    NTTパーソナル(後にDoCoMoに吸収)、DDIポケットに比べて出遅れた  感が強く初期の加入者が伸び悩んだ。一時期はサッカー選手のCMなどで  それなりの利用者数を確保したが、やがてPHSの利用者総数そのものが  全体的に激しく減少するにつれ採算が極端に悪化した。    アステル東京は1999年に東京通信ネットワーク(後のパワードコム)と合併。  更に2002年に同社のPHS事業は鷹山に譲渡された。同社は2004年5月26日  DDIポケットとのローミングを提携することを発表。同社の利用者は  電話番号を変更すればDDI網を利用して全国で端末が利用できる。同社は  8月17日にはアステルのローミングを11月末で停止する予定であることも  発表した。これによりアステル東京の利用者は12月以降は電話番号を変更  してDDI用の番号にしない限り、関東地区以外では端末を利用できなくなる。    アステル北海道は1999年11月1日に事業を北海道総合通信網(HOTnet)に譲渡  したが、2003年8月30日新規加入者の受付を終了。2004年3月25日停波した。    アステル東北は2000年9月に事業を東北インテリジェント通信に譲渡した。  2005年7月28日、新規の受付を終了。2006年秋に事業撤退の予定。    アステル四国は2002年3月1日に事業をSTNetに譲渡した。STNetは2004年7月28日  新規の申し込みを終了。将来サービス終了予定。  アステル中部は2000年11月に中部テレコミュニケーションに吸収されたが  同社は2004年5月12日で新規加入受付を終了した。  アステル関西は2000年11月にケイ・オプティコムに事業を譲渡したが、  2004年4月6日新規加入者の受付を終了。半年〜1年以内程度に停波すると見られる。  アステル北陸は2001年12月1日に事業を北陸通信ネットワークに譲渡したが  2003年11月30日に新規加入者の受付を終了。2004年5月26日停波した。    アステル中国は2001年10月1日に事業を中国情報システムサービスに  譲渡。中国情報システムサービスは2003年7月1日、中国通信ネットワーク  と合併してエネルギア・コミュニケーションズとなったが2004年5月19日に  新規受付を終了。数ヶ月程度のうちにサービスを終了するものと思われる。    アステル九州は2001年4月1日に事業を九州通信ネットワークに譲渡したが  同社は2002年11月に新規加入者の受付を終了。2003年11月19日に停波して  PHS事業を終了した。これによってアステルは九州地区がサービス空白地域  となってしまった。移動体通信でこういう事態が起きるのは利用者にとっ  ても、他の地域のサービス会社にとっても、ひじょうに辛いことである。    2004年8月時点でアステルのまま営業を続けているのはアステル沖縄のみで  ある。同社は事業の撤退も含めてPHS事業を見直す方針を2004年5月13日に  明らかにしたが。結局7月26日、DDIポケットと沖縄で共同事業展開を行う  方針を発表した。これにより沖縄アステルの利用者は電話番号を変更せずに  DDIポケットのローミングを全国で受けられることになった。