アコシス (accosys) 消費者金融や物品レンタルサービスなどを精力的に 
 展開しているアコムが、以前運用していたネット上の少額決済サービス。 
 同様の他社のサービスより手数料が安価で、またアコシスを使うサイトには 
 優良サイトも多く信頼度も高かったが、2002年3月20日営業を終了した。 

アーサーアンダーセン (Arthur Andersen) かつての世界五大監査法人  のひとつ。1913年開業。エンロン事件の責任を追及され2002年解散。
アサイン (assign) 資源などを割り当てること。
アシスタント・ツールボックス (Assistant Toolbox) Macintoshの  System7.5に付いていた、PowerBook用の設定ツール。
アシスト (ashisuto) 一部にファンの多いビルトッテン(Bill Totten,1941-)  氏が運営する日本のソフトウェア会社。    1972年に来日中であったトッテン氏が汎用パッケージ・ソフト ASI-STの  販売権を取得して社員7名で東京で創業した会社である。会社名もこの  ソフトにちなむもの。    古いパソコン利用者には 1989年から発売しはじめた「アシスト・カルク」  等の安価なソフトウェア製品の開発元として知られる。Lotus 1-2-3 や  Excelが4〜5万円くらいしていた時期に9700円で表計算ソフト「アシスト・  カルク」を発売。お金がない多くのパソコンマニアに愛された。    その後多数の低価格パソコンソフトを販売していたが、マイクロソフト  製品などがひじょうに廉価販売される時代が来てその役割は終了したと  みてこれらの製品は1998年で販売終了。現在はソフトの開発はあまり  おこなっておらず、各種のソフトの販売代理店として活動している。    トッテン氏は現在京都に住んでおり、日本人以上に日本のことを理解して  いる外国人としても有名で、様々な辛口の批評や講演・著書は人気がある。  アシスト社のサイトにも氏の論文が多く掲載されている  トップ http://www.ashisuto.co.jp/  トッテンコーナー http://www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/
アジマス角 (azimuth angle) 方位角。特に、ビデオデッキのヘッドが、  テープに対して記録していく角度を言う。    ビデオテープにはテープ幅の中に多数のトラックが記録されているが、  テープ幅を節約するために、一般にトラックの間に空間(ガード)が設けら  れていない。そのためそのまま記録・再生しようとすると、どうしても  隣のトラックからのクロストークが発生してしまう。    そこでおこなわれているのが隣り合うヘッド同士を斜めに設置するという  方式で、VHSビデオではこの角度は6度になっている。これで隣のトラックは  記録した時の角度が違うためクロストークが発生しても映像などへの影響  が小さくて済むのである。  なお古いデッキで(特に3倍モードで)録画したテープが他のビデオデッキ  で再生できないことがあるのは、古いデッキでは使用しているうちにヘッド  の角度がずれてしまっていることがよくあるからである。標準モードで録画  したテープは角度の微妙なずれの影響を受けにくい。
網代綴じ (あじろとじ) 製本の方法のひとつ。糸や針金などを使用しない  いわゆる無線綴じの一種だが、普通の無線綴じが、紙を折った背を  切り落として糊を付けるのに対して、網代綴じでは背に切れ目を入れて  おいてここから糊を浸透させるため糸は使っていないのにひじょうに  強力に接着され、しっかりした本になる。糸でかがった本と同様に  見開きに開けることが可能であり、児童書などで使用されている。  これは日本で開発された技術である。
アスキー (ASCII, Anatano Sukina Computer Isshoni Iikoto simashou)  西和彦らが設立した、1980年代から1990年代前半を代表する日本の  ソフトハウス。当時、西和彦はハドソンの工藤裕司、ジャストシステム  の浮川和宣とともに「日本のソフト界の三羽烏」と称された。  西和彦は早稲田大学在学中の1976年8月、CQ出版社にいた星正明らと  ともに「日本マイクロコンピュータ連盟」を結成。同年12月にこの  二人に郡司明郎が加わって日本初のマイコン専門誌「I/O」を創刊  した。この雑誌の初期の編集室は西の自宅である。  1977年5月には西と郡司に、元電通の塚本慶一郎を加えた3人で  「アスキー出版株式会社」を設立。翌月から月刊誌「アスキー」を  発行する。なお翌1978年には古川亨が加わった。  西は1977年には渡米してDigital Researchを訪れ、CP/Mの64人目の  ユーザーとなっていたが、1978年2月には今度は突然Microsoftの本社前  にヘリコプターで降り立ち、まだ当時は海の物とも山の物とも分からない  存在であったMicrosoftのビル・ゲイツと意気投合。BASICの販売代理店に  なる。このあと両者は提携関係を進め、西が1980年にMicrosoft副社長に  就任、1983年には共同でMSXの開発(1983)などをおこなうが、やがて  Microsoftが急成長する中で路線の違いが出てきて1986年2月5日、西は  Microsoft副社長を辞任。両者の提携関係は事実上解消された。この時  ビル・ゲイツがアスキーにMicrosotの子会社にならないかと打診し、  それを西が蹴ったのが決裂の原因という説もある。    Microsoftは同年4月2日、独自に日本法人を設立。この社長に就任した  のは、アスキー取締役からヘッドハンティングされた古川亨であった。  ただ当時はMicrosoftとアスキーの提携解消のことを知らない人も多く、  古川のマイクロソフト社長就任を、アスキーとMicrosoftの更なる提携  の進展の象徴と思いこんでいた人も多かった。当時は今のようにネット  がある訳ではないので、こういったニュースの伝わる速度はとてつもなく  遅かったのである。なお、古川がマイクロソフトに移る時に、成毛眞など  約20名ほどのメンバーも一緒に移籍している。    一方アスキーは1985年5月には日本初の商用パソコン通信サービスである  「アスキーネット」をたちあげ、このネットはパソコンマニアの人達に  かなり支持されたが、パソコン通信がやがてニフティ,PC-VANの二大  ネットに集約されていく中で会員数が伸びず、1997年8月24日、サービス  を終了している。    アスキー製のソフトとしては、ワープロソフトの「JS-WORD」,  カード型データベースの「The Card」,グラフィックソフトの「Candy」,  表計算ソフトの「Wingz」などのほか、「ウィザードリィ」や「ローグ」  「オホーツクに消ゆ」などのゲームソフトがあった。概してアスキーの  パソコン用ソフトにはマニアっぽくて、ちょっと変な機能があったりして  面白いのだが実用性を考えると若干疑問があったり、あまり素人のユーザー  のことは考えていないようなソフトも多かった。  アスキーは出版部門、ソフト部門のほか半導体事業なども行っていたが  この半導体事業がかなりの赤字を出していた。これが問題であるとして  創業メンバーの塚本慶一郎と郡司明郎は西に撤退するよう要求していたが  折り合わず、結局1991年、ふたりはアスキーを去ることになる。  その塚本が設立したのがインプレスである。  1996年4月、アスキーは不振のソフトウェア部門の大半をサムシンググッド  に売却し、出版部門に営業内容を特化した。なおアスキーのソフトウェア  部門を吸収したサムシンググッド社は後にアイフォーになっている。    一方のアスキーはその後も財務体質がなかなか改善せず1998年には不振の  責任を取って西和彦は社長を辞任して取締役副会長に退きCSKの支援を  受けて経営の再建に取り組むことになる。そして再建が一段落した  2001年5月11日、西は取締役も辞任して特別顧問に就任。アスキーの経営  から事実上離れた。  西はその後フリーの立場で動いていたが2002年4月に、あめぞう氏と組んで  1chTVを立ち上げるなどの活動をしている。