バレンタインデーについて

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聖バレンティヌスについて
 
バレンタインこと聖バレンティヌスと呼ばれる人は二人いて、どちらが「聖バレンタイン」なのかは意見が分かれるところのようです。
(1)296年頃にローマで殉教したローマ北方のフラミニア街道に埋葬された司祭。
(2)ローマで処刑されたウンブリアのテルニという町の司教。
 
なぜ聖バレンティヌスの祝日が恋人たちの祝日になったかについても意見が多いようです。たとえばこれはローマのルペルカリア祭あるいはジュノー祭が原形であるという説、この頃の季節に鳥が配偶者を選ぶからだという説、などなどです。

聖バレンティヌスに関する断片的な話をつなぎ合わせると次のようになります。(両方のバレンティヌスがもしかしたら混合しているかも知れません)

当時のローマ皇帝クラウディウス(在位268-270)は強い軍隊を作るため兵士の結婚を禁じていたが、バレンティヌスはそれを無視して兵士の結婚式を執り行ってやった。これをとがめられてバレンティヌスは逮捕され処刑されることになったが、このときアステリオという判事の手で取り調べを受けた。

このアステリオには目の見えない娘がいたが、この娘が取調中のバレンティヌスと密かに心を通じ合わせるようになり、その愛の力で彼女の目が奇跡的に直ってしまった。それを知ったアステリオはバレンティヌスに感謝し、一家そろってキリスト教に改宗してしまった。

ところがその件が市長に知られると市長はアステリオの一家を逮捕し全員処刑した。そしてバレンティヌスは悪の張本人として数々の拷問を受けたあげく最後は棒でなぐり殺された。


この話のポイントは「1.結婚が禁止されている恋人たちを結婚させてやった」ということと「2.愛の力で目を直した」ということのようです。いづれも愛と関連しており、そこから恋人たちの守護者とされるようです。


バレンタインデーの始まり
 
中世ヨーロッパで聖バレンタインは愛の守護神とみなされるようになり、14世紀頃からこの日に恋人たちが贈り物やカードを交換するとか、その日の最初に出会った異性を「バレンタインの男性」「バレンタインの女性」と向こう一年間呼び合うという風習などが出来てきています。そしてこれが第一次世界大戦後にアメリカで急速に恋人達の日として普及し、日本でも昭和50年代前後から「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」として広まりました。現在国内の調査によれば約60%の女性がこの日にチョコレート等の贈り物をしているとのことで、チョコレートの消費量もこの時期に年間の2割程度を消費しているようです。

なお日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは昭和11年のモロゾフだそうで、その後戦争の時期を経て昭和30年代ころにデパートが単純に恋人に贈り物をする日として宣伝したようですが、その時はそれほど定着はしなかったようです。チョコレート業界では昭和33年にメリーの営業主任であった原邦生氏(後社長)がヨーロッパの知人からバレンタインの話を聞き、新宿伊勢丹デパートでキャンペーンセールをしたものの、最初の年はそのコーナーではチョコレートはわずか5個!170円分しか売れなかったとのことです。その頃からメリーと森永だけが毎年バレンタインの広告を出していましたが、やはり定着するには昭和50年頃を待たなければなりませんでした。


一人でチョコは何個贈る?
 
さてバレンタインのチョコレートですが、昭和50年前後のころはかなり本命の男の子にしか贈られていなかったようですが、昭和50年代後半ころになると「義理チョコ」などといって顔見知りの男の子に大量にばらまいたり、会社のOLが共同でチョコレートを買って同じ部署の男子社員に大量にばらまくなどという何とも不思議な習慣が出てきて、購入されるチョコレートの量はぐんと伸びました。もっともこの「義理チョコ」の中にはそれを装って大量にばらまいた中の一人は実は好きな男性という形で自己満足を得るという目的の「偽装義理チョコ」もしばしばあるようです。

さてその気になる贈る個数ですが、ユーハイムの調査によれば、8割の人が3人以上に贈っており、20代の未婚女性の場合は6割ほどの人が6人以上に贈っていて、全世代の平均では4〜5人くらいに贈っている計算になるそうです。

一方日本チョコレートココア協会の統計を見ると、バレンタインのチョコの国内の総売上は600億円ほどだそうですから、赤んぼうからおばあちゃんまでの総女性人口の半数がバレンタインをやっていると想定すると、一人あたり約1000円使っている計算になります。この金額から推定できる贈り先の数は3〜4ヶ所ですから、結局やはり4人くらいに贈るパターンが平均像になるようです。

(以上は1994-2000年頃に書かれた記事です)


最近のバレンタインデー
 
日本でバレンタインデーにチョコという商業的な企画が最初に行われたのは昭和11年のモロゾフですが、戦争で中断し、戦後は昭和33年にメリーがデパートで「バレンタインのチョコ」を販売したものの、その年はわずか5個しか売れなかったそうです。このような企画が定着しはじめたのは、1970年代半ば頃からでしょう。

1970年代の頃は、まだ今でいう「本命チョコ」や、それに準じるくらい好意を持っている男性の友人や先輩などに贈るものでしたが、1980年代頃から、別に恋愛感情があるわけではない職場の同僚や兄弟・父親などに「義理チョコ」を贈る習慣が出てきました。更に2000年代に入ってからは女性から同性の友人に贈る「友チョコ」、自分用に買う「自己チョコ」、また男性から女性の恋人に贈る「逆チョコ」などといった動きも出てきています。

元々のバレンタインは別に女性から男性への贈り物に限定される訳ではないので、「逆チョコ」などは、本来のあり方に近いものの一つでしょう。そもそも、チョコレートといった甘いお菓子は、女性は好きであっても男性では苦手な人もいるので、なぜ「女性から男性へチョコを贈る」という形で、日本のバレンタインが始まったのかは、なかなか不思議な面も多い所なのです。

実際には、女性が男性の恋人にプレゼントをする場合は、チョコレートとは限らず、お酒とかネクタイなどを贈るケースも多いようですし、そのあたりは、各々のカップルで考えていけばよいところでしょう。ただ中高生などの女子が、密かに想っている男子に思い切って贈り物をする場合チョコレートというのは、お小遣いで容易に買える、うまいグッズであることも確かです。

(2011.02.13)


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