10月22日、京都三大祭りの一つ、時代祭が開かれます。(あとの二つは葵祭・祇園祭)
このお祭りは桓武天皇による平安遷都1100周年を記念して1895年に始まったもので、三大祭りの中では最も新しいものです。
祭は平安遷都以来の歴史を遡るように、維新期の鼓笛兵に始まって江戸時代の武士、戦国時代の武士、流鏑馬、平安時代の女性たちなど18のグループ2000人が次々と行列を繰り広げます。一行は京都御所の堺町御門を出発、烏丸通り−御池通り−三条通り−神宮通り−と経て、平安神宮に向かいます。この平安神宮も遷都1100年に合わせて創建されたものです。
桓武天皇は最初天応元年(781)長岡京へ遷都しようとしますが、新都建設の責任者の藤原種継が射殺されるという事件が起こり、この事件に連座して皇太子・早良親王が捕らえられる不祥事が発生します。さらに諸国で天然痘が流行、建設中の新都も洪水に見舞われる始末で、さすがの天皇もこの新都を放棄せざるを得なくなります。
しかし、ここでめげない天皇は更に新たな都を建設することを決定、現在の京都の地を選んで延暦12年(793)視察使を派遣、すぐに建築を始めさせ、その建築の最中の延暦13年10月22日、早々に平城京から引っ越してしまいました。長岡京にさんざんケチが付き、遷都に反対する勢力も勢いづいていたことから、天皇の遷都に対する強い意志を示す必要があったのでしょう。
平安京は東に鴨川(青龍)、西に東海道(白虎)、北に船岡山(玄武)、南に巨椋池(朱雀)があり、風水的に理想の地です。故にその後1000年以上首都として栄えたのでしょう。
平安京は東に鴨川(青龍)、西に東海道(白虎)、北に船岡山(玄武)、南に巨椋池(朱雀)があり、風水的に理想の地です。故にその後1000年以上首都として栄えました。また呪術的に見た場合、北東に比叡山(山王神社)、北西に愛宕山(愛宕神社)、南東に稲荷山(伏見稲荷)、南西に松尾山(松尾神社)があって、四方だけでなく四維もしっかり守られています。
惜しむらくは、現在では巨椋池が破壊されてしまったため、せっかく集められた京都の運気は、淀川を通って大阪に流れていってしまっています。
(1999-10-21)(2005-10-22加筆)