8月1日から弘前ねぷた祭りが始まります。2日からは青森のねぶた祭りも始まります。
よく知られているように「ねぶた(nebuta)」と「ねぷた(neputa)」があります。青森がNebutaで弘前はNeputaです。
一般にこの青森と弘前のものが一番有名ですが、私の育った町である下北半島の大湊でもねぶたをやっていました。黒石のねぶたも時々報道されます。一応NebutaとNeputaに分けると次のようになるそうです。
Nebuta Neputa青森(8/2-8/7) 弘前(8/1-8/7)大湊(8/4-8/6) 黒石(7/30-8/5) 木造(8/1-8/3) 五所川原(8/4-8/7)
ねぶたには色々な形式があるようですが、ひとつの形式は扇形の木の枠を作り、それに紙を張って絵を描き、中に灯りを灯したものです。もうひとつは木の枠で複雑な武者人形などを作り紙を貼り絵を描き、やはり中に灯りを灯したものです。弘前では扇形が多く、青森では人形型が多いようです。大湊も人形型でした。私は先月能登半島の妻の実家で切子のお祭りに行って来ましたが、この切子とねぶたというのは、同じ系統のものではないかという気がしました。又東北各地にも「眠り流し」という似たお祭りがあるそうです。秋田の竿灯も同系統と言われています。
青森のねぶた祭りでは、この大きなねぶたを引いて回ったりぐるぐる回転させたりして、跳ね人(はねと)たちが笛の音に合わせて跳んで踊り回り、ラッセーラー・ラッセーラー・ラッセー・ラッセー・ラッセーラーというかけ声を掛けます。大湊もこのかけ声でした。これが弘前になるともう少しおとなしくなってかけ声もヤーヤドーになるのだそうです。
大湊では子供たちの中にたくさんお祭り好きのものがいて、ねぶたが近くなると学校にも笛を持ってきて練習をしていました。跳ね人の中にも相当数の子供が混じっていたように思います。
「ねぶた」の語源と起源については、この時期農作業などをしていると暑さで眠くなるということで、その「ねむけ」をはらう行事ということで「ねむり」から「ねぶた」が出たという説が最近では流布しています。以前は坂上田村麻呂の奥州征伐を起源とする話がよく言われていましたが、これは最近では少数意見になっているようです。基本的には七夕の厄を海や川に流す行事と、お盆の行事が合体してできてきたもののようです。
なお一般には大きな組みねぶたが知られていますが、弘前などではそれの小型の子供達が手に持って歩ける、子供用のねぶたも見られます。扇形と巾着型と金魚型があります。金魚型のねぶたは組みねぶたの原形と言われています。