道成寺鐘供養(4.27)
毎年4月27日には和歌山県川辺町の道成寺で鐘供養が行われます。
道成寺といえば能や歌舞伎・浄瑠璃などでおなじみ、安珍・清姫です。
安珍という僧が熊野への参拝の旅の途中、真砂の里で巡礼の宿を営む清重と
いう男の家に泊まりました。その家には清姫という娘がいましたが、清姫は
安珍に一目惚れしてしまいます。
どうかここに留まって私の婿になって下さい、という清姫に対して安珍は今
は願を掛けて熊野に行く最中なので、帰りにきっと立ち寄って添い遂げまし
ょうと約束して旅立って行きました。
ところが安珍はそれほど清姫に気があった訳でもなかったので、すぐに冷め
てしまい、熊野まで行ってお勤めを果たした後、別の道を通って帰ろうとし
ました。清姫の方はなかなか安珍が戻ってきてくれないのでだんだん不安に
なります。そしてとうとう食事が喉を通らなくなり、病気になって死んでし
まいました。
その死んだ清姫の部屋から一匹の蛇が走り出しました。それは安珍のことを
思いもう尋常ではなくなってしまった清姫の心が変じたものでした。
蛇は安珍がたどった後をもの凄い勢いで追いかけて行き、熊野まで行き更に
安珍が選んだ帰り道を見つけて、やがて潮見峠で安珍を見つけますが、安珍
は恐れて川辺の道成寺まで逃げ込みました。
蛇はもはや怨念と化して真っ赤に燃え上がりながら日高川を越え道成寺へと
向かいます。安珍は道成寺の寺の者に事情を話して鐘の中にかくまってもら
いました。しかし清姫の蛇はその鐘を見つけてぐるぐるに巻き付きます。怨
念の炎で鐘は赤く焼けていました。やがて蛇が去っていた後、寺の者がおそ
るおそる鐘をあげてみると、中にいたはずの安珍の姿はなく、微かな灰だけ
が残っていました。
安珍はあの蛇の炎で燃えてしまったに違いないと、寺の者は若い僧の冥福を
祈りました。
それからしばらくして、その道成寺の住職のところに夜一匹の蛇が訪ねて来
ました。それは安珍が化したものでした。安珍であった蛇は自分たちが結局
夫婦になったこと、しかし二人とも蛇の姿のままであることを語り、蛇の身
は辛いので、助けて欲しいと願いました。そこで住職は二人の為に法華経を
読んであげました。すると二人は法華経の功徳により刀利天に生まれ変わる
ことができました。
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この安珍・清姫の物語は今昔物語巻11に収録されたものを原点として、数々
のバリエーションが作成されたようです。上記は今昔物語版をベースとして
少しアレンジしてあります。
清姫は安珍にお熱だったのですが、安珍の方は清姫を最初好いていたのかど
うか、という点に関しては異論があります。今昔物語版では清姫の一方的な
想いに対して安珍が言い逃れで「帰り道に」と言ったということになってい
ます。逆に安珍が清姫を見初めたという説もあるようです。また、清姫の生
まれに関しても、清重が黒蛇に飲まれそうになっている白蛇を助けた為、白
蛇が巡礼の姿になって清重の許を訪れ、夫婦になって清姫が生まれたという
説もあります。また清姫は道成寺まで安珍を追いかけて行ったのではなく、
絶望して荘司ヶ淵に身を投げて死んでしまったという説もあります。
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この物語の舞台となった道成寺は藤原不比等の娘で、文武天皇后・聖武天皇
母である、藤原宮子が誓願して建立したもので、大宝元年(701)に開基した
紀州最古の寺です。安珍清姫の物語は最初能で演じられ、その後歌舞伎に取
り入れられました。恐らく最も代表的な藤本斗文作詞『京鹿子娘道成寺』は
宝暦3年(1753)江戸中村座で初代中村富十郎が初演。以後成駒屋のお家芸と
なっています。
なお、この道成寺の問題の鐘はその後回り回って加藤清正が京都の妙満寺に
奉納したとのことです。
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