さて、もう始まっていますが、今年(2000年)は2月11日(祝)から4月23日(日) (*1)まで長崎県のハウステンボス(佐世保市)で、毎年恒例の「チューリップ祭」が開かれ、町が100万本のチューリップで覆われます。
※2004年は2月7日から4月11日までです。ハウステンボスのサイト参照。
ハウステンボスは広い敷地の中にオランダの古い町並みが再現され、そこをきれいな運河が流れ、クラシックなバスなどが走っています。
陶磁器の部屋、ギヤマン博物館、オルゴール博物館、カロヨンの鐘などといった、どこか懐かしさを感じさせるもの、エッシャーのだまし絵を使った施設、ホロスコープを出力してくれる天星館、これを作る時消防庁ともめた、いわくつきの、床が揺れる大航海体験館、などなどの施設。
そしてプリンス・ウィレム号、幕末の艦船・観光丸(別名:咸臨丸)を復元したもの、などの船も浮かんでいます。観光丸は実際に乗ってクルーズを体験できます。
ふつうの遊園地にありがちな遊戯施設はありませんが(少し離れた場所にあるオランダ村に集められている)、落ち着いた、いい雰囲気の場所です。
ハウステンボスを作ったのは、立志伝中の人物、神近義邦です。
神近は地元の西彼(せいひ)農業高卒。町の職員をしていましたが、一時東京に出てミネベアグループの不動産部長などを務めたあと帰郷。町役場に復職して、地元の町おこし事業の動物園「バイオパーク」の開設(1980)に尽力しました。
この成功で自信を深めた神近は、江戸時代オランダとの交流で栄えたこの長崎の地にオランダの風景をうつした公園を作りたいと考え「長崎オランダ村」の設立に動きます。
しかし地元の西彼町ではそこまでの資金は出せませんでした。神近は個人でその事業をやりとげる決意をし、あちこちの企業を回って支援の要請をします。
しかしその途方もない計画、事業家としての力量が未知数の人物、更にジェットコースターもない遊園地、ということでどこも首を縦に振りません。いつしか彼は最初に断られたところ、長崎自動車の松田社長のところに足を向けました。
夢を熱く語る神近。その彼の姿勢の中に大きな将来性を見た松田は「この事業は危険すぎて会社として支援することはできない。しかし私が個人で銀行借入れの保証をしよう」と言い出します。松田家は本来先祖代々決して借金の保証はしてはいけないという家訓があり、それを敢えて破っての決断でした。この松田の決断により、オランダ村建設の資金が確保されました。
「長崎オランダ村」は1983年、わずかに小さな風車小屋1個と小さなレストランだけの状態から出発しました。しかし神近はマスコミ関係にうまく接触、たくさん記事を書いてもらうことで、あまりお金をかけずにこの施設の宣伝を行ない、同時期に千葉県でスタートした「東京ディズニーランド」と並ぶテーマパークの東西代表として、首都圏の観光客を大量に誘致することに成功しました。
(これがたとえば近年福岡県で挫折した某遊園地の場合、広告費の使いすぎが経営を圧迫したともいわれています)
神近は入場料収入をどんどん町の拡張に投資。オランダの町並みは次々に広がっていきます。そしてこの成功を祝して、オランダ大使がここを訪問、17世紀の木造船「プリンス・ウィレム号」の模型をプレゼントしました。
わざわざ大使が来てくれたことに感激した神近はこの席で自分でも思いもよらず「今度、この船の実物大のものをオランダに注文しましょう」と言ってしまいました。
オランダ大使はもちろん、その場にいた誰もがそれは単なる外交辞令と思いました。しかし神近はこの「思いつき」を非常にいいものだと考えました。そして資金のメドをつけた上でほんとうにこの船の建造をオランダに発注。今度は向こうがこれに感激し、丁寧にこの船を復元して送り届けてくれました。この船がまたオランダ村のシンボルとして益々人を引き付けます。
そして数年後、神近は次々と広げてきたオランダ村の土地の拡張がそろそろ限界に到達しつつあるのを感じていました。その頃、隣の佐世保市では工業団地にするために開発した広大な土地に、全く企業が来てくれず、その土地の処理に困っていました。
ここで神近は佐世保市と交渉。この土地を新・オランダ村建設用地として売ってくれるように頼みました。佐世保市も、持て余していた土地であり、さらに市内にこんなものが引っ越してきてくれれば市の活性化になるとして大歓迎。ここに新しい町の建設が始まります。
この建設資金を融資したのは、東京ディズニーランドにも出資していた日本長期信用銀行でした。当初は福岡支店と交渉していましたが、投入資金量が福岡支店の決裁範囲を超えているとのことで、本社の幹部を招いて交渉を重ねています。この交渉もなかなか大変だったようで、神近はこの施設のコンセプトを銀行幹部に理解してもらうのにかなり苦労したようです。融資額は2000億円という巨額なものです。
いろいろな困難を乗り越えて作られた、この新しい町の名前は「ハウステンボス(Huis Ten Bosch)」と名付けられ、佐世保市もこの地域を新たにハウステンボス町という新しい町として独立させました。佐世保市のコンピュータシステムではこの7文字もある町名が入力できなかったため、急遽システムの改造が行われました。ハウステンボスのオープンは1992年です。
ハウステンボスは単なる観光施設ではなく、永住もできる町です。マリーナ付きの分譲住宅がワッセナー地区に多数立ち並びます。
またこの町は「1000年後まで続く町に」ということで徹底的なエコロジーの精神で貫かれています。内部で使用した水は完全に処理され、トイレの流し水等に使われたあと、更に徹底的に処理され、最終的には植物にやる水として使われます。工業団地にするために行われていた護岸工事なども元に戻され、自然の川が戻っています。
さて、この毎年春に行われている「チューリップ祭」では50種類100万本のチューリップが咲き乱れます。
合わせて、フラワーパレード&カーニバル、フラワーカナルミュージック、スプリングバンドミュージック、などといったイベントも開かれます。
また、来月(3月)の18日からは、オランダの花博覧会、フラワーカレッジ、ドリームインザスカイなどのイベントも行われます。
ハウステンボスへの交通は福岡市内からJRまたは高速バスで。JRはハウステンボス行きもありますし、佐世保行きに乗っても、早岐で乗り換えて1駅です。駅から直接陸橋を渡ればハウステンボスの入り口にたどりつきます。
ハウステンボスのホームページは http://www.huistenbosch.co.jp/ です。