1月15日(年によって変動あり。2010年は1月17日)には、京都の三十三間堂(正式名称は蓮華王院)で、全国の20歳になる弓道者と上級者があつまり、弓道大会が開かれます。これはこの場所で江戸時代にさかんに「通し矢」がおこなわれたことを記念するものです。
ここは、千手観音を1001体(壮絶です!!)お祀りする密教寺院ですが、柱の間が33あることから、一般に「三十三間堂」と呼ばれています。創建は長寛2年(1164)。後白河法王の離宮であった法住寺殿の片隅に建てられたものですが、現在は妙法院の境外仏堂となっています。
「通し矢」というのは、この三十三間堂の裏手で、南端に的を置き、北端から矢を放ってこれに当てるものです。距離は約120m。なかなか当たるものではありません。江戸時代におこなわれた通し矢では、一昼夜の間にこの的に何本当てられるかを競いました。
慶長11年(1606)1月19日に開かれた大会では、尾張清洲藩松平家中の浅岡重政が51筋射通して、家康から「天下一」の称号を許可されました。
しかし、この後これに挑戦する強者たちが次々と現れ、記録もどんどん更新されていきます。主として御三家の尾張藩と紀伊藩は互いにライバル心を燃やして強力な弓の遣い手に挑戦をさせました。
寛文9年(1669)には尾張藩の星野勘左衛門が8000本という大記録を立てましたが、更に17年後貞享3年(1688)には紀伊藩の和佐大八郎(1663-1713)が8132本射通して、結局これが現在でも最高記録になっています。ものすごい体力と集中力です。和佐大八郎が射た矢の数は13,053本。平均6.6秒に1本の割合で射続けたことになります。しかもこの120mの距離で確率62%になります。
どなたか、これに挑戦する人は出てきませんでしょうか?明治32年の記録でも4457本だそうです。
(TVチャンピオンか何かでやりませんかね〜?)