七夕の恋人達〜八百屋お七〜

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八百屋お七の物語は井原西鶴の「好色五人女」で現代に伝えられています。

八百屋の娘お七は、私の推定では寛文8年(1668)戊申年の生まれです。俗説で丙午生まれという説がありますが、それは当たっていません。(暦研究の権威の一人・岡田芳朗氏も寛文7年か8年の生まれと推定なさっています。7年でも丁未年です。)

天和2年(1682)の12月28日、江戸に大火がありました。お七の一家も焼け出され、近所のお寺に避難します。その時お七は一人の若い僧に一目惚れしてしまいます。

年明けて家が再建され自宅に戻ったお七ですが、その僧のことが忘れられません。そしてやがて思いがつのり、もう一度火事が起きたら彼に会える、という思いから自宅に火をつけてしまいます。

しかし燃え始めた途端、お七は自分がしたことが恐くなり、すぐに近くの火見櫓にのぼって半鐘を叩きました。おかげで人々が駆けつけてきてすぐに火を消し、大したこともなく終わりました。

しかしお七は火付けの大罪を犯した下手人として、奉行所の取り調べを受けます。取り調べをした奉行はお七が非常に若く、幼い恋心がこのようなことをしでかしてしまったということに、いたく同情します。くわえてお七はまだ16歳。本来ならば放火犯は火あぶりの刑と決まっていますが、年少者は罪一等を減じるという規定を使いたいと思いました。しかしお七はそれに対して、自分は確かに16歳であると主張。何なら生まれた時のお宮参りの記録を見てくれとまで言います。やむを得ず奉行は、規定通りお七に死刑を宣告しました。

火刑はこの年、天和3年(1683)の3月29日に鈴ヶ森刑場にて行われています。

なお、お七が一目惚れした相手は、西運という僧で、このお七のこともあって厳しい修行を積み、のちにたいへん偉い坊さんになったと伝えられています。

ただし、異説として、相手は吉三郎という説、生田庄之助という説、佐兵衛という侍であるという説などもあります。生田庄之助説では吉三郎という男がお七をそそのかして火を付けさせたとしています。

落語では相手は吉三郎になっていて、お七が火あぶりになったのを悲観して川に身を投げて死んだとします。そして二人は地獄で再会するのですが、手を取り合うとジューっという音がしたといいます。

これはお七は火で死に吉三郎は水で死んだので水と火が触れてジューっという音がしたということと、お七の七と吉三郎の三とで十になるからだともいいます(^^;; まぁ落語ですので(^^;;

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