音の日(12.6)

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12月6日は「音の日」です。これは1877年12月6日に、エジソンが蓄音機で音の録音と再生に成功したのを記念するもので、日本オーディオ協会が1994年に制定しました。

音は空気の振動であり、どこかで物が振動するとその振動が空気に伝わり、音として伝搬します。人間は通常これを耳の中の鼓膜の振動で知覚し脳に伝えられて、何の音かを情報処理します。もし猛獣の発する音だとしたら逃げなければならないですし、仲間が声帯を震わせて出した音(声という)であれば、その内容を分析した上で、必要な対応を取ります。

波には縦波と横波がありますが、横波は流体中を通過することができませんので、空気中を伝わる音は縦波であることが分かります。逆に音は固体や液体中も通過することができ、一般にその場合の速度は空気中よりも速いです。

空気中では(常温の場合)音は秒速340mくらいで伝わりますが、水中では秒速1500mくらい、鉄では6000mくらいの速度で伝わります。同じ気体でも、水素は1270m, ヘリウムは970mくらいの速度になりますので、ヘリウムを吸って声を出すと、音が高速で伝わるためにピッチの高い音で聞こえます。この原理を使った「ダックボイス」は一時期随分ブームになりました。

音源が移動している時は、その音源自身の速度が音の速度に加算されるため、近づいている時はピッチが高くなり、遠ざかっている時は低くなります。これをドップラー効果といいます。良く例に取られるのが、救急車のサイレンのピッチの変化です。

音源が音速で移動する場合、ドップラー効果により過去に発した全ての音が同時に到着することになり、凄まじいエネルギーの固まりが生まれます。これにより発生する爆発音のような音の波を衝撃波といいます。この時、音源側には、激しい空気抵抗の圧力が掛かっており「音の壁」と言われて1940年代頃の航空関係者の間では「音速は飛行機が越えられない速度の壁だ」と思われていました。

これをクリアした技術が「後退翼」と「エリアルール」でした。後退翼とは主翼を胴体からまっすぐ横に伸ばすのではなく、少し斜め後ろに伸ばす手法。するとこの傾きの分だけ、衝撃波が弱まるのです。エリアルールとは胴体にくびれを付ける手法で、これにより主翼付近の空気の流れの強さを緩和することができます。

「ジャンボ」の愛称で親しまれているB747は機首の付近に2階席があり、その分、頭が膨らんだ形をしていますが、これはスーパーシートを付けるために、無理矢理膨らませたのではなく、実はエリアルールを採用しているのです。このためジャンボは音速近くまで速度をあげることが可能になっています。

現代のアメリカや日本などの主力戦闘機F15イーグルは音速の2.5倍、つまりマッハ(M)2.5までスピードを出すことができますが、このような機体が作られたのは当時アメリカとソ連の間で戦闘機の「スピード合戦」のようなものがあったからで、現代ではそこまでの速度での空中戦というのはあまり重視されなくなったため、最新鋭のF/A22ラプターでは最大速度はM1.8になっています。

ただしF15は普通の巡航速度はM0.9で、音速を超えるためにはアフターバーナーといって一度エンジンを通った排気(まだ大量に酸素を含む)に更に燃料を噴出して燃やし速度を上げる機構が必要で、これを使うと燃料をフルに積んだ状態でも20分しか持ちませんが(但しその20分で小松から北海道南端や朝鮮半島東岸まで到達できる)、F/A22の場合アフターバーナーを使わなくてもM1.58の速度で巡航することができるようになっています。巡航速度で音速を越えることをスーパークルーズといいます。

旅客機での超音速飛行はフランスとイギリスが共同開発したコンコルド(1969)がありますが、燃費が悪い上に定員が少なく、運賃がどうしても高くなってしまうため、利用者が限られたこと、騒音が凄まじく多くの空港で離着陸を拒否されたこと、滑走路が長く必要であったことなどから、商業的には失敗。わずか16機生産されただけで1976年には製造中止になってしまいました。その後イギリスとフランスではこの機体を半ばメンツで運用していましたが、2001年のアメリカの同時多発テロの影響で航空需要が低迷し、航空会社としてもこのコストのかかる飛行機の運行をこれ以上続けることができなくなり、2003年、運行終了しました。コンコルドもF15と同様、通常のエンジンの使い方ではM0.95までで、アフターバーナーを使ってM2.0まで速度を上げる仕様になっていました(但しコンコルドの場合はいったんM2.0まで到達するとアフターバーナーを止めてスーパークルーズできる)

さて話をエジソンに戻すと、1877年にエジソンが開発した蓄音機(Phonograph)は円筒にスズを塗ったもので、これを手回ししながら音の振動を与えると、振動に対応した波形が柔らかいスズ面に針で刻まれ、その波形を今度は逆に針でたどらせることによって元の音の波形が再現されて聞こえる、というものでした。

しかしスズの記録面は崩れやすい上に、エジソンのシステムでは録音用の針と再生用の針を分ける考え方もなかったので、実際問題として実用性は乏しいものであったようです。これを色々な人たちが改良を試みるのですが、中でも電話の発明者として知られるベルのチームは良質の改良版を製作し、1883年Graphophoneという実用的なシステムを完成させました。

このベルのチームで中心にいたのかドイツ生まれのアメリカ人Emil Berliner(1851-1929)で、彼はこのあと独立して更にこのシステムに改良を加える内に音を円筒ではなく円盤に記録することを思いつき、1887年、現代のレコードの原型になるGramophoneを開発しました。

一方、1888年にアメリカのOberlin Smithが音を磁気に変換して記録させる方法というのを提案しますが、それを実際に作ることに成功したのはデンマークのValdemar Poulsen(1869-1942)で、1898年12月に特許を取っています。ポールセンのシステムTelegraphonは、音の振動をコイルを試用して磁気に変換して鋼線に記録したものです。しかし鋼線があまり扱いやすいメディアではないことと、音質があまり良くなかったことから普及には至りませんでした。

ドイツのFrits Pfleumerはこの磁気記録の媒体として磁性体を塗ったテープを使用することを考え、1928年に原型を完成。これがドイツのArgemeine社の手で改良を加えられ、1935年にMagnetophonとして商品化されます。テープは初期の段階では紙でしたが商品化された頃にはプラスチックテープになっていました。しかしそれでも音質が悪かったところを化学メーカーのBASF社がアセテート樹脂を使用することを提案。更に永井健三・五十嵐悌二の「交流バイアス方式」が組み込まれて1941年頃までに、実用的なテープレコーダーのシステムが完成しました。

テープレコーダーの特徴はそれまで考えられなかった長時間録音を可能にしたことと、テープの切り貼りによる編集を可能にしたことです。

この影響を受けてレコードの方も改良がおこなわれます。

1948年レコードの素材にポリ塩化ビニルを使用することで、微細な記録を可能にして長時間録音したLPレコード(Long play)がコロムビアから発売されます。LPレコードはテープレコーダーがあって初めて可能になった製品です。生で数十分の演奏をダイレクト録音するのは、オペラのようなもののライブ録音を除いては、事実上不可能でした。

翌年には同じ方式で収録時間の短いEPレコード(Extented Play)も発売されます(俗称ドーナツ盤)。このLP(33回転)・EP(45回転)に対して従来のレコード(78回転)はSP(Standard Play record)と呼ばれました。

一方、音を直接記録するレコード、磁気で記録するテープレコーダに対して、20世紀後半になって、全く新しい発想の記録方式が生まれました。それが音の瞬間的なレベルを数値化して記録するというPCM録音方式です。

この方式に基づいて作られたのが1981年にソニーとフィリップスが共同開発したCD(Compact Disc)で、44.1KHz 16bitのPCM録音で最大74分の記録ができるようになっていました。

44.1KHz 16bit というのは、1秒間に44100回音のサンプリングをして、その時の音のレベルを2の16乗=65536段階で記録するというものです。こうすると、サンプリングした音のレベルを辿ることで、音の波形が再現され、44.1KHz-65536段階というCD音質では原理的に90dB程度のダイナミックレンジが得られるという計算になります。74分という微妙に中途半端な録音時間が定められたのは、ベートーヴェンの第九交響曲を1枚に収録できるようにしてくれと、カラヤンが言ったからだという伝説があります。(その後規格改訂で最大収録時間は80分になった)

CDは1982年に市場に登場するや、約10年でレコードを駆逐し、音楽の配布の主役となりました。しかしその天下もわずか20年でかげりが見えはじめます。

そして現代ではPCM録音という方式は変わらないものの、主役はハードディスクレコーディングやiTuneなどに代表される音楽のダウンロード販売に移ろうとしており、メディアを問わない単なる「データ」という形で音の商品の流通が始まろうとしています。


(2005-12-06)

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