12月27日はピーターパンの日。これは1904年12月27日に「ピーターパン(Peter Pan, or The Boy Who Wouldn't Grow Up)」がロンドンで初演された日をとったものです。
ピーターパンはスコットランドの作家 J. M. Barrieの作品ですが、固定された作品というより、長い間に変化していった作品です。
バリーは最初1902年にThe Little White Bird (1902) という小説を書いているのですが、この中に少しだけピーターパンの話が出てきます。それを元にしてバリーは1904年に劇場用の脚本を書いて上述の名前で上演しました。そして公演が好評であったことから、1906年に「Peter Pan in Kensington Gardens」という本を出していますが、この時期のピーターパンは、今私たちが知っているピーターパンの物語とはかなり違います。
それが公演を重ねる度に物語がどんどん修正されていき、1911年に再度「Peter and Wendy」という本を出版しました。これが一応バリー版「ピーターパン」の最終形に近い形であり、現在よく知られているピーターパンの物語の基本形になっています。実際にはこの本にはあまり子供には読ませたくないような記述もあるようで、その付近をリライトあるいは削除した本が世間的には「ピーターパン」の名前で出回っています。
初期の頃のものと最終形ではピーターパンの設定もかなり変わっています。またウェンディは初期の物語には出てきておらず、代わりにMaimieという女の子が出てきていました。この物語は初期の頃、作者が友人の子供に語ってあげていたものですが「ピーター」という名前はその子供の名前から来ています。「パン」はギリシャ神話のパンから取ったとされます。「ウェンディ(Wendy)」という名前は今日では一般的ですが、当時はとても珍しい名前であったというので、バリーが創作した名前ではないかという説もあったのですが、バリーの別の友人の娘(当時4歳)が、「My Friendy」と言うのに口がまめらずに「マイ・ウェンディ」のような感じで発音していたのを流用させてもらったらしいという説が有力になってきているようです。
ピーターパンは心理学的にいえば「永遠の少年(イアッコス)」の元型を色濃く反映しており、ウェンディはその連想で行けば、イアッコスとしばしば同一視されるペルセポネ(≒デーメーテル)という感じです。ピーターパンがフックを倒すのは、「金枝篇」のメインテーマでもあり、ヨーロッパで伝統的に見られる「父殺し」の象徴を反映しています。舞台ではフックとウェンディーの父親を同じ俳優さんが演じることが多いそうで、そのあたりもひとつの仕掛けになっているようです。
フックはそれほど悪人ではなく、またピーターバーンもそれほど正義の人ではない、という意見は多く、ピーターパンがフックを倒すのはおそらく、本来自分が成長していくためのはずなのですが・・・・・それでもピーターパンは永遠の少年のまま留まり成長せず、代わりにウェンディーが大人になって、やがてその子供が何年か後にピーターパンと一緒に冒険する、という構図は、つまりピーターパンとウェンディは本来一体のものであることを表しているのかも知れません。
(2005-12-27 02:48)