1890年のこの日、東京と横浜で電話の営業が始まりました。当時の加入者は東京で155人、横浜で42人。電話交換手は昼は女性7名(多分全員良家の令嬢),夜は男性2名でした。
この時の電話番号は東京の部が1は東京府庁で2は逓信省電務局などです。この時大隈重信が177だったのは有名ですが、ほかに渋沢栄一が158, 後藤象二郎が247, 前島密が248, などといった番号が割り当てられていました。
当時の「電話加入者人名表」が手元に画像しかないので判読が難しいのですが、岩崎弥太郎が160ではないかと思います。この手の話をすると掲示板でしばしば話題になる138番のマクドナルドですが、いろいろ調べてみたのですが、最初は日本で最初に英語を教え和英辞典まで作ったというアメリカ生まれのカナダ人(しかも父はスコットランド人,母はチヌーク族という本当に国際的な人)ラナルド・マクドナルド(Ranald McDonald,1824-1894)ではないかとも思ったのですが、むしろ当時日本でホテルの経営などをしていたアメリカ海軍元大佐のマイケル・マクドナルド(Michael McDonald)のほうかも知れません。この人の活動期間がよく分からないのですが1890年頃確かに日本にいたようです。
なお当時の電話料金は定額料金で東京が40円,横浜35円でした。この時代1円で米が15kg買えていますので今の値段にすれば40円は12万円くらいの感覚。豊かな家ではそう苦にならない金額でしょう。そこで当時は東京府内で電話の加入を申し込んでも、線が近くまで来ていない場合は10年近く待たされる場合もあったともいいます。