11月10日は「いいトイレ」の語呂合わせで「トイレの日」です。日本トイレ協会が1986年に制定しました。
トイレの歴史というのは、だいたい人間が集団定住生活をはじめた頃から始まります。一般に人が集団生活をしはじめた場所は水が豊かで、近くに川がある場合が多かったので、川の上に板などで張り出しを設け、そこに穴を開けて、そこで排便をしていました。いわゆる「かわや(厠)」です。
後に村の回りに防衛と猛獣避けを兼ねて堀(環濠)を作るようになると、その環濠が厠を兼ねるようになりました。こういう厠の系統のトイレは平安時代にも上級貴族がおこなっていて、自分の屋敷の中に川の流れを引き込み、その流れの上に厠を設置していました。
一方そこまでのお金のない中級以下の貴族の場合は、現在の簡易トイレのような構造のものを作り便の落ちる箱の中には砂や木の葉などを入れて便の処理がしやすいようにしていました。
ヨーロッパではローマ帝国は立派な下水道を持っていましたが、その後の中世の都市では必ずしも下水道は未整備で、これがのちのペスト大流行の原因のひとつになったとも考えられます。中世のヨーロッパの都市では、人々は「おまる」のようなものに便をして、それを窓から外に捨てていましたので、道を歩いている最中にそんなものが飛んでくるのは日常茶飯事でした。そのために発達した服装がマントやハイヒールです。ヨーロッパの都市でしっかりした下水道が整備されるのはだいたい19世紀頃です。
トイレの処理方法としては厠のような水洗式、中世ヨーロッパや平安の中級以下の貴族などのような廃棄式のほか、もうひとつ重要な方式があります。それは、農業文化圏の中で発達した、肥料として利用する方式です。日本には中国で発達した処理方法が伝わり、中世以降代表的な屎尿処理方法となりました。江戸時代の都市では、長屋などで溜められた屎尿を近隣の農家が回収していき肥料として使用していました。一般に農家は畑で取れた作物を都市に売りに行って、帰りに屎尿を買って帰っていました。この屎尿の売却代金というのは、長屋の大家にとって、大事な収入源でした。
日本では戦後、寄生虫の問題から屎尿を肥料に使うのを止めて化学肥料を使おうといったことが言われて「こやし」の消費量が減り、肥溜めも随分減って、一方で下水道と水洗トイレの普及ですっかり屎尿は「廃棄物」扱いされるようになってしまったのですが、ここ十数年の間に揺り戻しが起きて、化学肥料で作った作物より、有機栽培した作物の方がずっとおいしいことも知れ渡り、あらためて人糞についても、処理方法の見直しの声が上がるようになってきました。しかしいろいろと問題は多く、前途は多難です。
なお、トイレの便器は基本的に、座り式・しゃがみ式・立ち式に分けられます。歴史的に長いのは座り式としゃがみ式で、これは西洋が座り式・東洋がしゃがみ式でした。いわゆる「金隠し」は日本だけのものだそうで、平安時代に服に尿がかからないように掛けておく「衣掛け」がルーツといわれます。「きぬかけ」が訛って「きんかくし」になってしまったのだそうです。日本でも戦後は団地などを中心に座り式のものが普及し、今では和式のしゃがみ式より、楽に使える洋式の座り式の方を好む人たちも増えてきました。
立ち式の小便器はかなり新しいもののようです。20世紀初頭に世界的に普及したようですが、日本や欧米などでは男性用の立ち式だけが生き残り、中東などでは女性用の立ち式の方が生き残ったようです(それでも日米欧の男性用小便器ほどの数ではないらしい)。