回転寿司というシステムを考案した大阪の「廻る元禄寿司」の元禄産業が制定したものですが、この日を選んだのは同社の創業者白石義明(1913-2001)の誕生日だからというのが、なんとも豪快ですが、まぁ良いでしょう。
回転寿司はよく知られているように工場のベルトコンベアをヒントに生まれました。庶民向けの「立ち食い寿司屋」を営んでいた白石氏が昭和28年頃、アサヒピールの工場を見学した時に、ベルトコンベアの上をビール瓶が流れていき、そこにビールが注入されて封印される様子を見ていた時に、このように寿司を客の前に流していけないかというのを考えました。
コンベアの材質には耐久性があり錆びの来ないステンレスを使用、三日月型の板を組み合わせてカーブを克服。苦節4年、「コンベヤー旋廻食事台」を装備した「元禄寿司」の1号店が昭和33年、近鉄布施駅北にオープンしました。
このシステムが広く知られるようになるきっかけは昭和45年の大阪万博です。同博に出店した元禄寿司のスタイルは全国から来た万博の観客に注目され、このシステムを真似た寿司店も誕生するに至ります。その中でも大きな役割を果たしたのが石川県に本部を置く石野製作所の「くるくる寿司チェーン」で、ここから「くるくる寿司」というのが回転式寿司屋の代名詞にもなります。
石野製作所(この部門は子会社の北日本カコー)は自己のチェーン店以外にも寿司コンベアを積極的に販売しており、ここと、同じ石川県の日本クレセントが寿司コンベアの二大メーカーとなっています。
回転寿司というのは「寿司屋」というのを私たちの身近なものにしてくれました。それまでの寿司屋といえば、値段の書いてないメニューが並んでいて入ったら勘定のときに万札を何枚使うだろうか、というドキドキ感のある、庶民にとっては近寄りがたい雰囲気のあるお店でした。しかし回転寿司では1皿100円(初期の元禄寿司は50円)という明朗会計(高い皿は色などを変えてある)なので、自分で懐具合を考えながら食べることができます。千円札が1〜2枚しかなくても入れるので気軽に入れる店となったのです。