インターネット記念日(11.21)

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1969年の11月21日、アメリカのARPAネットの実験が始まりました。これが結果的には現在のインターネットの元になっているので、この日はインターネット記念日になっています。

ARPAネットはアメリカとソ連の冷戦の産物です。1957年ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。アメリカは実際にソ連と戦争になった場合、宇宙から攻撃を受ける危険にさらされることになりました。そこで宇宙開発にも慌てて大きな予算を割くと共に、宇宙戦争になった場合の防衛策を練るための研究所としてARPA(高等研究計画局−後の防衛高等研究計画局:DARPA)を組織しました。

ARPAの防衛システムの研究の中で、中心を持たない通信システムというものが提案されます。どこかにホストがあってそこで軍事情報が集中管理されていたらそこを衛星軌道から狙い撃ちされると、アメリカの防衛機能は麻痺してしまいます。しかし中心のない分散型のシステムであれば、やられた所を回避して、通信を続けることができますし、データも分散していれば1ヶ所やられたくらいでは平気です。

こういう思想のもとに生まれたのがARPAネットで、当初はカリフォルニア大学ロスアンゼルス校、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、スタンフォード研究所、ユタ大学の4ヶ所のコンピュータがパケット通信回線により相互接続されました。

1971年には接続箇所が19ヶ所に増え、1973年には同盟国のイギリス・ノルウェーとも接続されます。1979年以降は同様のネットワークUSENET,BITNET,CSNET,またヨーロッパでEUNETなどが立ち上がり、1983年以降はこれらのネットが相互接続されるようになっていきました。そして利用内容も当初の軍事利用から科学技術の研究、そして一般の商用利用へと発展していきます。

日本では1984年に村井純(当時は東工大助手)が中心になってJUNETが設立されまず東工大・慶応大・東大の相互接続が行われました。参加大学は増えていき1986年にはアメリカのCSNETとも接続されます。このJUNETで電子メール上で日本語を使用する時のルールなどが開発されました。しかしJUNETはアメリカでネット接続の標準として固まったTCP/IPではなくUUCPを使用していました。

TCP/IPのネット設立の必要性を痛感した村井(当時は東大助手)はWIDEプロジェクトを立ち上げ、TCP/IPネットワークを作ろうとしますが、ここで問題になったのはこのネットを立ち上げるのに必要なルーターでした。今でもルーターは高いですが当時は1000万円以上もするもので、通常の研究費ではとても買えない。困っていた所に助け船を出したのがプロテオン社の営業をしていた高橋徹で、彼はハワイ大学に試供品として提供していたルーターの内の4台を無償で提供するという話を持ちかけ、村井はすぐにハワイに飛んでこれを持ち込みます。この時、東京の税関で揉めたのだそうですが村井は「これは東大が使用するものであり、これが無ければ日本の科学技術は数年遅れてしまう」といって無理矢理通過させたというのは有名なエピソードです。

実際ここでTCP/IPネットワークが立ち上がっていなかったら、本当に日本のネット環境は世界標準から大きく立ち遅れることになっていたでしょう。

村井はこの提供されたルーターで東京・京都・大阪・福岡にネット管理センタ(NOC)を作り、ここに全国を結んだインターネットのバックボーンの基礎ができあがるのです。日本のインターネット回線の多くはこのWIDEにつながるようにして増殖していきました。


(2005-11-20)

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