11月22日はボタンの日です。一一二二がボタンの形だ、とでも言うのかな?と思ったのですが、そうではなくて明治3年(1870)のこの日海軍の制服が制定され、その制服にボタンが採用されていたことによるものだそうです。
基本的に服の留め方には「体のでっぱりにひっかけて留める」「留め具で留める」「紐(ヒモ)で結ぶ」という3種類の留め方があります。西洋では狩猟文化の影響で動物の骨を利用して留め具を作る方式が生まれ、これがボタンに発展したといわれています。これに対して東洋では農耕文化の影響で植物繊維が充分にあり、紐で結んで留める方式が発達しました。ですから日本の和服は紐で結んだり帯で巻いたりして服を留めているわけです。
しかし明治政府はこれからは洋服の時代と考え、海軍の制服に実用的な洋服を取り入れ、イギリス海軍の制服を参考にしてボタンのたくさん付いた制服を定めたのです。なお陸軍の制服は明治4年にフランス陸軍の制服を参考に定められたそうです。
ボタンの語源はよく分からないのですが、ポルトガル語のbutao(花のつぼみ)などと同語源ではないかと言われています。日本語では「釦」という字があるのですが、これは峠・鞄などと同様の日本製の漢字(国字)で、大村益次郎が考案したものです。
。。。と一般には聞いているのですが、それでは中国語では何というのだろうと思って調べてみました。すると「扣」という字が使われているようなのですが「釦」も一緒に辞書に載っています。また「紐」「鈕」もボタンの意味のようです。中国語でも「釦」が使えるのは偶然なのか、或いは??この付近の事情、ご存じの方がありましたら、教えてください。
さて、ボタンの材料としては初期の段階では動物の骨が使用されたもの思われますが、海に近い所では魚の骨や貝などを加工したものと思われます。貝のボタンというのは現在でも使われていますし、中には美術品的な価値のあるものもあります。豪華なものとしては、ボタンの表面に細かい色ガラスを多数埋め込んでモザイク絵にしたもの、陶磁器や七宝焼きで作ったもの、絵具で絵を描いたものなど、様々なものがあります。現代日本でもこういうのが好きな人は1〜2万円程度のブラウスに1個5〜6万円のボタンを付けて歩いていたりするようです。まさに隠し味的な趣味でしょう。
そのような高価なボタンではなく、普通の服に付いているボタンはだいたい1個数円〜数十円のボタン。その多くがカゼイン樹脂で作られています。この樹脂はよく安物の真珠イミテーションにも使用されていますが(ワゴンセールなどで売っている「真珠」風アクセサリーはだいたいガゼイン樹脂らしいです)、その原料はご存じのように牛乳です。
作り方は牛乳に今とても微妙な立場にある(^^;ゼラチンから作ったレンネットを加えて凝固させます。これをレンネットカゼインというのですが、これにホルムアルデヒドを作用させると、硬くなって樹脂になります。なお、レンネットカゼインをそのまま発酵させると何になるかというと、チーズですね(^^;
さて、最後に「卒業式の第二ボタン」の話を。
近年、卒業式で女子生徒が男子生徒の制服の第二ボタンをねだるというのが、あります。憧れていたけど卒業してしまい、もうこれっきり会えない人のせめてもの思い出に、ということだともいいますが「先輩、第二ボタンください」などと言ったら、それ自体がほとんど「好きです」という告白のような気もします。
さてこの「なぜ第二ボタンなのか?」なのですが、実に色々な説があるようです。
・学生服の第二ボタンというのは一番心臓に近い位置にあるから・第二ボタンを外してもらえば、そこに手を突っ込んでハートがつかめる・本人がいちばん触っているボタンだから・一番上のボタンは本人を表し、二番目のボタンは一番大切な人を表す・第一ボタンは親友に、第二ボタンは恋人に、第三ボタンは友達にあげる・第一ボタンをもらいたいが、それを取ると襟がだらしなくなる
さて、この風習がいったいいつから始まったかなのですが、どうにもハッキリしません。一説では柏原芳恵の「春なのに」(1983)で、歌詞の中にボタンをねだるくだりがあるから、ともいうのですが、この歌詞を調べてみたのですが確かにボタンを下さいとは言っていますが、第二ボタンとは言っていません。
また、柏原芳恵の歌は、そもそもこの「第二ボタンをもらう」という風習があったので、それを下敷きに書かれた物(ちなみに作詞は中島みゆき)ではないかという意見もあります。この付近もよく分かりません。
なおこの「春なのに」ではもらったボタンは捨ててしまうことになっています(^^; 恋しい人のものをいつまでも取っておくのはだいたい男の風習で、女はすっきり忘れるものですからね、一般に(^^)