10月27日は「テディ・ベア」の名前の元になったTheodore Roosevelt大統領(第26代,在職1901-1909)の誕生日(1858)で、これにちなんで「テディ・ベアの日」になっています。
1902年11月14日、大統領はミシシッピ州とルイジアナ州の州境争いの調停のために同地に向かい、親睦を兼ねてLittle Sunflower River 近くでハンティングを楽しみました。ところが大統領の獲物はゼロ。すると地元の人が、そういう場合を想定して用意しておいた小熊を連れてきて「大統領、これを仕留めて下さい」と言いました。ところが大統領はそれを拒否します。「私は抵抗できないものを撃ったりはしない」という弁が、周囲の人たちを感銘させました。大統領は子熊を森に放してあげました。
この話を聞いたワシントンポストの風刺漫画作者Clifford K. Berrymanはこのエピソードを早速1コマ漫画にして新聞に掲載しました(題名は「Drawing the Line in Mississippi」で州境争いの問題に掛けている)。
ニューヨークのBrooklynで酒場を営んでいたMorris Mitchom, Rose Mitchomの夫婦は、この記事を目にして客寄せに2頭の子熊のぬいぐるみを作り店の入口に飾ります。すると、酒場を訪れる客の中でこの熊が欲しいという人が続出、夫婦はせっせとぬいぐるみを作っては客に売っていたのですが、その内こちらの売上の方が酒場の売上より大きくなってきたため、とうとう酒場をたたんで、おもちゃ屋さんを作り、人を雇って大々的に作り始めました。
一方、ドイツのMargarete Steiffは、以前からおもちゃ屋さんを営んでいましたが、この時期新しいおもちゃを作ろうとネタ探しに動物園に行っていて、子熊のぬいぐるみを作ることを思いつきます。彼女はこれをライプチヒのフェアで出品しますが最初は全然売れませんでした。ダメかなと諦めかけていた所に、たまたまアメリカ人の商人が通りかかり、本国でちょうどMitchomの子熊が話題になっていたことから、これも売れると直感。その場で3000個もオーダーしました。
このMitchomの会社と、Steiffの会社がテディベアのルーツです。なお両社の子熊人形は特に名前は付いていませんでしたが、1906年にPlaythings Magazineが、この子熊人形のルーツはルーズベルト大統領のエピソードだということで、大統領の愛称 Teddy を採って「Teddy Bear」の名前が生まれました。
(異説ではMitchomが最初に酒場に子熊人形を飾った時にホワイトハウスに照会して大統領の名前を借りていいですか?と尋ねTeddy bearという名前について口頭で許可を得ていたとも)
(2005-10-27)