今年(1999)は体育の日が10月10日固定になる最後の年です。
来年(2000)からは体育の日は10月の第2月曜になりますので、いつになるか不定です。
この日は、東京オリンピックを記念して定められたものです。東京オリンピックは、昭和39年(1964)10月10日に開幕したのですが、これはこの日が東京地方の晴れの特異日であったから選ばれたものです。
国会は、この日が晴れの特異日で学校などで運動会を予定するのに最適の日であるということを忘れて、単に休みを増やしたいということで、この日を移動祝日にしてしまいました。
東京オリンピックはまさに日本にとって「戦後」の終わりを告げるものでした。このイベントをシンボルとするこの時代を境に、日本は貧しい国から豊かな国へと変身し、戦後の復興は完全に完了。高度経済成長時代のまっただ中に飛び込みます。
国はこの東京オリンピックに向けて主会場となる代々木スタジアムなどの体育施設はもちろん、東海道新幹線・羽田モノレールの開業、名神高速・首都高速などの高速道路や地下鉄の整備、などなどといった社会インフラに膨大な予算を投入しました。また、文化面ではルーブル美術館の門外不出の宝「ミロのビーナス」(ミロス島で発見された古代のアフロディーテ像)を東京・京都に迎えて特別展を開くなどして国民の間に衣食住を越える価値観を提示します。そして肝心の選手強化費も空前の20億円もの巨費が投じられ、このアジアで初めてのオリンピックの祭典は開かれたのです。
この結果東洋の魔女と言われることになる女子バレーが見事優秀を果たしたほか、日本は柔道・レスリング・重量挙げでも大量に金メダルを獲得、サッカーでも釜本や川淵の活躍で強豪アルゼンチンを破り決勝トーナメント進出、マラソンでも円谷が3位の快走を見せてくれました。この時のマラソンの優勝者はアベベです。
こういった様子は全国にテレビで報道され、これを見るために裕福な家庭ではテレビを買うところが相次ぎました。そして当時は近所で集まってこの放送を夢中になって見たのです。