10月25日は民間航空記念日です。
戦後日本は、軍事技術の一切の開発保有を禁止され、航空技術に関しても軍事技術の一部ということで民間の飛行機の保有・飛行も全て禁止されていました。当時は模型飛行機でさえ飛ばしてはならなかったそうです。
その中で、アメリカとロシアの冷戦の開始は日本をアメリカ側の陣営に取り込むため、ある程度日本にも自由を与えてやろうという機運につながり、航空産業再開の可能性も出てきました。当時その気運に乗って航空会社を設立しようとする動きが5社あったのですが、その中の3社が藤山愛一郎によってまとめられ「日本航空」として1951年8月1日に設立されました。当時の日本航空の本社はモルタル3階建ての粗末な建物だったそうです(現在の銀座の日航ホテルの場所)。
しかし当時は日本が航空機を所有することも、日本人が飛行機を操縦することも許可されなかったため、日本航空は、アメリカの航空会社ノースウェストと提携し、飛行機もパイロットも同社から借りて運用するという抜け道をとりました。そして1951年10月25日、最初の飛行機が東京−大阪−福岡という航路で飛び立ちます。これがマーチン202型機の「もく星号」で、日本航空はその後、DC-3「金星号」、DC-4「てんおう星号」と投入していきました。
なお、もく星号は翌年4月9日午前8時頃、三原山に激突し乗員乗客37名が全員死亡する事故を起こしましたが、軍事機密に阻まれて、この事件の真相はいまだに明らかになっていません。
(2005-10-25 02:26)