10月23日は電信電話記念日です。これは明治2年9月19日(新暦換算して10月23日)に東京横浜間の電信線の設置工事が始まったのを記念するものです。
電信技術を日本に紹介したのは、かの有名なジョン万次郎です。万次郎は元は漁師で船が嵐にあい漂流していたところをアメリカ船に救助され、そのままアメリカへ連れて行かれたあと、1851年に日本へ帰ってきた人です。
世が世なら伊勢の大黒屋幸太夫らのように、鎖国日本で一生幽閉されて人生を送らなければならなかった所ですが折りも折り、1853年にペリーが来航、当初は幕府もオランダ語経由でアメリカ人と会話していたものの、やはり、それではラチがあかないということになり、万次郎はこの後、貴重な英語通訳として大活躍することになります。
万次郎は帰国した時にアメリカで見た電報や蒸気機関車を幕府に報告していますが、そのあと彼は1860年、咸臨丸に乗って今度は正式の幕府の使節の一行としてアメリカを訪れ勝海舟らとともに再度この進んだ技術を見てきます。
そして慶応4年(1868)、今度は開陽丸の建造と回航のためオランダに行った榎本武揚が当地で電信機を購入して戻って来ますが、この折角買ってきた電信機は維新の混乱のため使われないままになってしまいます。この現物は現在も保存されています。
しかし榎本武揚が電信機を持ったまま函館五稜郭にたてこもっている間に明治政府はやはり電信の必要性を認識し、その導入に動き出します。
明治元年(1868年)11月に寺島宗則(1832-1893)がこの計画の推進を指示され、イギリスから技術者を招聘、まず横浜弁天灯明台役所から本河通り裁判所まで760mの間に電信線を設置、明治2年8月9日、通信実験に成功します。そして9月19日(新暦10月23日)には同裁判所内に電信機役所を設置、ここから東京税関まで32kmの電信線設置工事を開始しました。これを日本の電信事業の出発点とみなして昭和25年『電信電話記念日』が設定されました。
こうして同年12月には東京−横浜間の電信線が開通し、12月25日(新暦3年1月26日)には電報の取り扱いが始まりました。この電報の開始に先立ち、2年の4月にはこれを記念して『天理可楽怖』(telegraph!!)という新聞が創刊されています。
当時、この電線を通って電報が送られるという話を聞いて、みんなで電線の回りに集まって眺めていたとか、電線に弁当をくくりつけたなどというエピソードもあります。また、この電報というのはキリスト教の手先で電線には処女の血が塗られており、その処女は戸籍番号の1番の家から順に調達されている、などという根も葉もない噂が立って電報局が襲撃されるという事件なども起きています。
電報のお陰で幸運に恵まれたエピソードなども伝えられています。開通したばかりの鉄道で新橋から横浜へ行こうとした親子連れが、新橋で乗る時に子供だけ乗りそこねるという事故がありました。青くなった両親が品川で降りて駅員に相談した所、すぐに新橋駅に電報を打ち、新橋駅の駅員が無事子供を保護して品川駅まで次の汽車で連れてきてくれたそうです。それを当時の新聞は「鉄道より速い電報!」と大々的に報道しました。
しかし開通したばかりの電報は実際には故障が多く、仕方ないので頼まれた電文を汽車で運ぶなどというのも最初の頃はずいぶんあったようです。また、電報がスタートした当初から配達業務もやっていたのですが、初期の頃は大きな町にしか電報局はありませんでしたので、そこから遠い地区には受け取った電文を郵送していたということで、今の感覚から見るとややユーモラスとも思えるシステムで電報は稼動しはじめたようです。
なお、電話を発明したのはグラハム・ベルですが、電信の発明者はサミエル・モールスです。
1844年5月24日にワシントン−ボルチモア間に電信を開通させたものですが、この時彼が送った電文は有名で「What hath God wrought!」(神が造り給いしもの)というものでした。モールスは英語の文字の出現頻度を考慮し、一番よく出てくる文字を短い符号で表すという効率的な符号体系を提唱し、それが広く採用されています。日本語のモールス符号は寺崎遊と吉田正秀らにより電報業務開始の折りに定められました。
今ではほとんど使われなくなったモールス信号ですが電報の開始当初は全てこれでやっていた訳で、突然それを打てる技術者が大量に必要になったため、初期の頃は随分下手な電報技師も多かったようです。そのため本来の電文の他に、電報局間で「コノヘタクソ」とか「マダウマクナラナイノカ」などという怒りの電文も飛び交い、それがエスカレートすると実際に会いに行って殴り合いの喧嘩を始める者、殴ってやると行ってみたら相手が女性の技師だったため(当時、良家の娘が大量に技師になっている)それが縁で付き合い始めて結婚した者などもあったそうです。恐らくあいた時間に電文で恋を語り合ったりしていたでしょうから、現代のパソコン通信での結婚の先駆者ともいうべきでしょうか。
--------------------------------------------------------------------特別付録:モールス信号の語呂合わせ記憶法(海軍式)
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