10月21日は「あかりの日」です。これは発明王エジソンが1879年に実用性の高い白熱電球を発明したことにちなんだものです。
人類の歴史は火の制御とともに始まります。火は熱と光という2つのものを人間に与えてくれました。火によって人類は天敵から身を守るとともに、食べ物を加熱調理することを覚えました。
そして火は夜間も人類が活動できる礎を与えてくれました。最初は松明(たいまつ)の形で。後には燈明(とうみょう)・蝋燭(ろうそく)・ランプなどの形で。
しかしほんの120年前まで、光を出すには必ず火を燃やさなければなりませんでした。それを分離した革命家がエジソンであったということもできるでしょう。
もっとも電球を発明したのはエジソンではありません。
1879年2月、イギリスのスワンが炭素繊条を使った白熱電球を発明しました。それ以前にも火を使わないあかりとしては1821年に発明されたアーク灯もありました。(1878年3月25日に日本で最初にアーク灯がともったのが、電気記念日になっていますね)
しかしアーク灯は点灯するのに技術が必要な上、電極の消耗が激しいので絶えず電極間の距離を調整してやる必要がありましたし、スワンの白熱電球は寿命に問題がありました。
エジソンは寿命の長い白熱電球を作るべく、フィラメントの素材として色々なものを試したあげく、一番使えそうもない素材であった「竹」が実は最も長くもつことを発見しました。この時彼が使った竹は日本の京都産のものであったそうです。
(その頃、日本の東芝もフィラメントの材料を探していたらしいのですが、エジソンが京都産の竹を使ったと聞き、灯台もと暗しの思いに打たれたと聞きます。)
エジソンはこの新しい白熱電球を売り出すために会社を設立、これが現在のGE(General Electric)社のもとになります。そしてこのGE社ではそのあともフィラメントの素材について研究を重ね、1910年頃GE研究所のクーリッジが引出加工したタングステンによる丈夫なフィラメントを開発。これによって電球の寿命は更に延びました。
この頃日本ではカラクリ儀右衛門(田中久重)の会社である東芝(当時は東京電気)が独自に開発してきた白熱電球に関する技術とGE社と提携して得られた技術をもとに安定した電球を製造、これに「マツダ・ランプ」の名前を付けます。この「マツダ」は「松田さん」ではなく実はゾロアスター教の神「アフラ・マヅダ」からとられたものです。
この東芝はこのマツダランプに改良を加え、1925年電球の内面にツヤ消しを施したまぶしくない電球を開発、これが現在の電球の基本になっています。
現代のあかりとして電球と勢力を2分する蛍光灯はGE社のノイマンにより1938年に発明されました。これが日本で最初に使われたのは1940年、法隆寺の壁画の写真撮影のときでした。
(法隆寺の壁画はカラー写真の発明前だったが、カラーフィルターを掛けて三原色に分解して撮影された。おかげで、我々はこの失われた壁画を原色で見ることができる)
この頃の蛍光灯には演色性が悪い(太陽光の元で見た時と色が違う)という欠点がありましたが、その後天然色蛍光灯、昼光色蛍光灯、更には3波長式蛍光灯が開発されて、かなり改善されてきました。
また、蛍光灯はエネルギーの光への転換効率が良いのが長所で、白熱電球に比べてずっと小さい電力で同量の光を出すことができます。しかし最大の欠陥は放電により発光させているため、商用交流の周波数50MHz/60MHzに対応した周期100MHz/120MHz単位の光のチラツキが出ることです。このため蛍光灯の下で長時間作業をすると目を悪くするという深刻な問題がありました。
近年これを改良したのがインバーターで、これは蛍光管に供給する電気の周波数をあげ400MHzにすることにより、チラツキを小さくしています。子供の勉強机などには少々高価でもインバーター付きの蛍光灯を設置したいものです。
さて、電球や蛍光灯はだいたい半年あるいは2〜3年も使っていれば寿命が来て切れてしまいます。基本的に照明器具はランブが切れることを前提に設計されているのですが、切れないことを前提にしたあかりが一部で使われ始めています。それがLED(light Emitting Diode)で、これは本来整流器として使用されていたダイオードがわずかながら電力を消費し、結果的に消費された電気の一部が光になっていることに注目し、わざとその光をたくさん出すような半導体の組み合わせを探し当てたものです。LEDは弱い光しか出しませんが発熱が小さく非常に長い寿命を持っており、家電製品や情報機器のパイロットランプや表示板などに多数使用されています。液晶ディスプレイのバックライトもLEDですね。
10年ほど前から、アメリカでは「Akari」と呼ばれる新しい照明器具が注目されています。これは日本の提灯(ちょうちん)をヒントに作成されたもので、電球などの発光体を和紙で包むことにより、間接光のような柔らかい光を得るものです。次第に日本にも逆輸入されてくるのではないかと思われます。