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↑ パソコンの日(9.28)


「パソコンの日」は1979年9月28日に日本電気がPC-8001を発売したのを記念
するものです。無論これが日本で初めてのパソコンというわけではありませ
んが、これが日本におけるパソコンブームの火付け役になったことは確かで、
そこからこの日付が選ばれたものと思われます。どこが定めた記念日なのか
は確認できませんでした。

(日本でパソコンが最初に発売されたのは多分1972年か1973年頃だったので
はないかと思います。1974年に私は出版されてから2年くらいたった古いパソ
コン解説書を図書館で読んだ記憶があります。)

パソコンの歴史はマイクロプロセッサの誕生とともに始まります。1969年に
日本のビジコンの嶋正利がアメリカのインテルに赴き、電卓用の小型プロセ
ッサの発注について説明しました。この時、インテルの若き技術者テッド・
ホフがマイクロプロセッサという構想を披露しました。指の上に乗る超小型
コンピュータの概念が生まれた瞬間でした。

それまでのコンピュータというのは、制御装置・記憶装置・演算装置という
のがそれぞれ多数の真空管もしくはトランジスタの組合せで制作された巨大
なものでした。しかしホフはこのコンピュータの中核部分をたった1個の
ICの中に閉じこめてしまおうという、とんでもないことを考えたのです。

この構想を元に1971年世界初のマイクロプロセッサi4004が誕生しました。
この名前はこのプロセッサの中に4004個のトランジスタが組み込まれていた
からです。このシリーズがやがて、8008, 8080, 8086, 80286,80386,i486,
Pentium, PentiumII, PentiumIII と発達してきて、多くのメーカーのパソ
コンに組み込まれてCPUとして使用されてきました。

1974年12月、MITS社はALTAIRというパソコンを発表しますが、ハネウェル社
のポール・アレンは友人の大学生ビル・ゲーツとともにこのALTAIR上にそれ
までは大型機でしか動いていなかったBASICを移植することを考えます。アレ
ンはこの作業を半月ほどでやり遂げ、発売しますと、ものすごい売れ行きに
なりました。このお陰で業績不振に陥っていたMITS社は大幅に業績を回復。
二人はこのBASICをMITS社に30万ドル(3000万円)で売却、この資金を元手に
してMicrosoft社を設立しました。

1975年夏、ヒューレット・パッカード社の技術者スティーブ・ウォズニアック
はビジネスショーで見かけた6502というモステクノロジー社のCPUに魅せ
られます。彼はこのCPUを購入して、友人のスティーブ・ジョブスの父親の家
のガレージでパソコンを組み立て Apple と名付けて売り出しました。これは
大ヒットとなり、二人はこのパソコンを売る会社アップルを設立します。

(6502は後に任天堂のファミコンに採用されました。私はこのCPU上でパソコ
ン通信ソフトを作成しましたが、とても素敵なCPUでした。)

1973年頃、日本電気の半導体部門はインテル社のCPUの互換CPUを製造してい
ました。しかし当時はまだ家電にマイクロプロセッサは搭載されていません。
半導体部門は折角作ったCPUの販路に困っていました。この時その販路開拓に
ついて相談された渡辺和也(後に日本電気支配人,日本ノベル社長)はそのCPU
に配線器具やキーボードなどを組み合わせたパソコン自作キットを作ること
を思いつき、1976年8月TK-80の名前で発売します。これは当時コンピュータ
に興味は持ってはいるものの、近くに自由に使えるコンピュータのないマニ
アたちに大いにうけました。

この成功に気をよくした渡辺は続いてアメリカに渡り、当時はまだ海のもの
とも山のものともつかなかったMicrosoft社にビル・ゲイツを訪ね、彼らの
作ったBASICを今度日本電気から発売するパソコンに搭載させて欲しいと頼
みました。ゲーツはこれを承諾。ここにPC-8001の仕様が固まりました。

しかし当時日本電気はこういう製品を販売するルートを持っていませんでし
た。むろん大型コンピュータを売っている部門はありますが、それは何千万
円もする商品。一方のPC-8001は結局16万8千円で販売されています。渡辺ら
のグループはこれを家電の販売ルートにのせることを考えます。このため、
日本電気のパソコンの製造販売は現在でも、日本電気ホームエレクトロニク
ス(当時は新日本電気)の管轄になっています。

1979年9月28日に発売されたPC-8001 はCPUがμPD780,メモリ16K で、カセッ
ト、フロッピー、ディスプレイ、プリンタが接続可能になっていました。
むろん16Kというのは当時としては広大すぎるくらいの巨大メモリでした。
カセットは当時の主力の補助記憶装置です。

その後、このシリーズは PC-2001, PC-6001, PC-8001, PC-8801 という4つ
の枝に分かれますが、結局ソフト環境が整備された 8801 のみが生き残りま
す。そして、この日本電気のPC開発はその後、情報処理事業部に移管され
名機 PC-9801 が生まれることになります。

なお、遅れて来た巨人IBMは1981年にやっとIBM-PCを発売します。その時に
IBMは従来パソコンに使われてきたBASIC以外に、もっと本格的なOSを搭載
しようと考えました。そしてBASICの元締めともいうべきMicrosoftに新しい
OSの制作を依頼します。しかしMicrosoftはすぐにそれを作ることができ
なかったため、シアトル・コンピュータ・プロダクツのSCP-DOSを買収。こ
れを改造してIBMに提供しました。これがMS-DOSです。

その後IBMのこのシリーズは PC/XT, PC/AT と発達していきました。PC/ATは
現在の世界のパソコンのほとんどを占めている Windowsマシンの原型です。

この IBM-PC にシェアを奪われて業績を悪化させたのがアップルでした。こ
こでアップルの経営陣及び技術陣はゼロックス社でアラン・ケイという若い
技術者が1973年に作り上げていた画期的なパソコン試作品を見学に行きます。
そしてその素晴らしさに感動して、IBMに対抗するにはこういうパソコンを
作るしかないと結論。そこで生まれたのが1983年のLisa, そして1984年の
 Macintosh でした。

Macintoshを見て、恐らく最もその精神に共感したのはビル・ゲイツだった
と思います。彼はこれが近い将来のパソコンの進むべき方向であると直感。
ただちにそれを追いかけるべく Windows の開発に取りかかります。そして
極めて使い勝手が悪かった Windows1.0 を経て1988年には実用的なWindows
 2.0が発売、更には1995年の Windows 95 で世界標準OSの地位を獲得しま
した。


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