敬老の日

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敬老の日

9月15日が敬老の日なのは2002年までです。2003年からは体育の日・成人の日と同様の移動祝日になり、9月の第3月曜に設定されます。そして9月15日は「老人の日」となり、15〜21日は「老人週間」となります。

元々は1954年に「としよりの日」という名前で制定されたのですが、この名前はちょっとひどいのではないかということになり、1964年に「敬老の日」に改められました。そして1966年に国民の祝日となりました。

この記念日は本当によく変化しています。なおこの記念日のいわれについては下記99年の記事を参照して下さい。

さて、老人というのはだいたい何歳以上か?という意識調査がしばしば行われていますが、1993年の総理府調査では「70歳以上」という意見が57%であったそうです。老人福祉法の規定も70歳以上となっています。これに対して国民年金は現在は65歳が受給開始の規準ですが、60歳からの繰上受給、70歳までの繰下受給も可能になっています。しかし国民年金は非常に厳しい運営状態ですので、近い将来70歳開始が標準になるのは確実でしょう。

微妙なのは税金の計算。本人の老年者控除は65歳以上ですが、老人扶養親族は70歳以上ということになっています。

しかしこの年齢になってくると、歴史的な年齢と生理的な年齢が随分差が出てくるものです。60歳でかなり老け込んでいる人もありますし、80歳でまだ50代並みの肉体を維持している人もいます。これは主として本人の生活習慣による差といわれています。

(2001-09-14)


9月15日は国民の祝日・敬老の日です。

最初昭和29年に「としよりの日」という名前で制定されたのですが、この名前はちょっとひどいのではないかということになり、昭和39年に「敬老の日」に改められました。そして昭和41年に国民の祝日となりました。

さて、この敬老の日の由来なのですが、どうも2つの説があるようです。

(1)聖徳太子説

聖徳太子が大阪に四天王寺を建てた時、ここに四天王にあわせて、敬田院・ 悲田院・施薬院・療病院の四箇院を設置したといわれています。その内の 悲田院というのが今でいえば老人ホームで、この悲田院ができたのが9月 15日であったため、この日が選ばれたというものです。(何年のことなの かは確認できなかった。四天王寺創建と同時という説もあるようだが、そ の論拠が確認できなかった)

悲田院というのは元々中国にあったもので、中国文化の直輸入に熱心であ った太子が、一流の国家は福祉も一流でなければならないという理想に燃 えて設立したもののようです。 なお、悲田院・施薬院はのちに光明皇后も奈良の興福寺内に設置していま す。こちらは年代が分かりました。養老7年(723)のことのようです。河出 書房の日本史年表にも掲載されています。更には天平2年(730)には皇后官 職に施薬院、左京・右京にも1ヶ所ずつ悲田院が設置されたようです。

(養老7年はまだ聖武天皇は即位していない。つまり光明子が皇太子妃の 時代である。故にひょっとしたらこれは光明皇后ではなく元正天皇の事績 かも知れない)

(2)養老の滝説

これは上記にも出てきた「養老」の年号が制定された経緯に絡む話です。

美濃の国にお酒の好きなおじいさんと、孝行な息子がいました。しかし、 びんぼうなので、息子はおじいさんにあまりお酒を飲ませてあげることが できませんでした。この息子はきこりをしていたのですが、ある時足を滑 らせて谷間に落ちたところ、そこに酒の流れる滝があるのを見つけました。 息子は喜んでこの酒を持ち帰り、おじいさんにたくさんお酒を飲ませてあ げました。

そのことを聞いた元正天皇は霊亀3年(717)9月その地に行幸、そのきこり を役職に取り立ててやるとともに、これを瑞兆として11月17日元号を養老 と改めたとのことです。この故事にもとづき、全国的に9月中旬頃に地域 のお年寄りを招待して敬老会を開くということが以前から行われており、 そこで9月15日を敬老の日に定めたというもの。

さて、そこで上記の元正天皇の行幸が9月15日なら、とても面白いのですが 続日本紀を開いて確認したところ、該当しそうなものは残念ながら9月20日 でした。ただし天皇が美濃に向けて出発したのは9月11日。15日はその途中 なので、あながち外れてもいないことになります。

続日本紀の記録はこうなっています。

・9月11日、天皇は美濃に向けて出発した。 ・9月18日、天皇は美濃に到着した。 ・9月20日、天皇は多度山の美泉をご覧になった。 ・天皇は行幸に同行した者に者を賜った。行幸に協力した地元の人の  税金を免除した。下級役人を1階級昇進させた。 ・11月17日次のように詔した。  9月に美濃の美泉に行った。手や顔を洗うと肌がなめらかになるよう  であった。痛いところを洗うと痛みが取れた。聞くところによれば  これを飲んだ者は白髪が黒く戻ったり、目の見えないのが見えるよう  になったり、病気が治ったりしたという。昔後漢の光武帝の時にも  似たような話があったそうである。これは瑞兆である。よって改元  して養老とする。

という訳で、元の話は滝ではなく泉だったようです。またお酒という訳で はなく、一種の鉱泉のようで、かなり濃いことから種々の薬効があったの でしょう。この続日本紀では親孝行のきこり、などという話は出てきてい ません。またきこりを役人に取り立てたなどという話もありません。下級 役人を昇進(昇給?)させたとは書いてありますので、その話が変形したも のでしょうか。この親孝行のきこりの話は多分、古今著聞集あたりから出 てきたのではないかと思います。

(1999-09-14)


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