そろばんの日(8.8)

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8月8日は「パチパチ」でそろばんの日です。

そろばん(算盤,abacus)の原型はおそらくBC2500年頃のメソポタミアのウル王朝あたりで生まれたのではないかと思われます。当時の計算方法は、土や岩の上に線を引き、その上に小石を並べて計算していたといわれます。

これが紀元前後のローマ時代には、線ではなく溝を彫って、その中に同じくらいの大きさの小石を入れて転がす方式のものが使用されるようになっています。この溝のある盤として青銅製のものなども制作されています。この時点で既に上珠と下珠が分離されています。

現在のように珠を串刺しにする方式は、中国で生まれたものと思われます。時代が確定できないのですが、おそらくは元の時代ではないでしょうか。明代初期の「魁本対相四言雑事」という本に、串刺し方式の算盤の絵が出ていますので、その時点までには確立していたということになります。

中国の算盤は、上珠が2個、下珠が5個ありました。これは5×2+5=15で、ひとつの位に0〜15までの数が置ける16進法の算盤です。なぜそんなものが必要だったかというと、当時の中国では、十六両で一斤という単位の仕組みがあったためです。これが日本に伝わってきますと、日本では特に十六進法は使用していなかったので(日本は1両=4朱、1朱=4分、という4進法)、早々に上珠は1個に改造されますが、長く下珠は5個のままでした。

江戸時代に既に乳井貢という人が下珠は4個でいいではないか、と提唱したのですが、実際に4珠の算盤が普及するのは1935年に文部省令が出てからです。しかしそれまで5珠の算盤に慣れていた人は簡単には切り替えられません。そこでだいたい1960年代頃までは5珠の算盤が残っていた家も多かったのではないかと思います。

私の祖父は五珠の算盤が好みのようでしたが、四珠の算盤も使えないことはないようでした。子供の頃に「この五珠の算盤ってどういう使い方するの?」と聞いたのですが「別に四珠と変わらないよ」としか答えが返ってきませんでした。結局詳しい使い方は聞かずじまいです。

電卓というものがこの世の中に普及しはじめたのが1973年頃です。それまで、高価なコンピュータ(その1973年頃にメモリーが4〜8KB程度のミニコンが数千万円していた)を利用できる大企業を除けば、ほとんどの企業・商店で計算は算盤で行われていました。

そのため1970年代半ばまでは算盤は、社会に出ていくための必須の技術のひとつとして、今で言えば英語の塾に通わせるような感覚で、親たちは子供を算盤の塾に通わせていました。

一応電卓が1973年頃から出始めたとはいえ、初期の電卓はキータッチの反応が悪く、1タッチしたつもりが2度押されていたり、逆に押されていなかったりというのはザラで、同じ計算を算盤と電卓の両方でやって結果が違った場合、大抵電卓のほうが間違っていました。そこで1980年前後までは、多くの人が電卓と算盤を併用していました。

世の中で算盤が使われないようになっていくのは「電卓も必要ない」ということになってきた、1980年代後半のパソコン時代を待たなければなりません。その頃になると、企業の末端までパソコンや大型コンピュータの端末が入り込み、元々の数字を入れれば、計算は全部コンピュータがやってくれるようになり、経理の担当者は電卓さえ叩かなくなります。

当時あちこちで見かけた風景は、若い経理担当者がMultiplan などで作った書類を持って上司の老齢の経理課長さんの所に持っていくと、課長さんが、どれどれと算盤を取り出して、パチパチと数字を叩き、合計が合っていることを確認して「うん、合ってる」と言ってハンコを押してくれる、などといったものでした。

そんな中、算盤は伝統工芸品の指定も受け、実用品から、趣味のものへと変質していってしまいました。あと50年もしたら、算盤は華道・茶道などとならぶ「お稽古事」の部類に入り、やたらと礼儀作法のうるさい流派などが誕生しているかも知れません。


(2003-08-08)

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