8月2日は語呂合わせで「博多人形の日」です。素焼きの人形は全国各地にありますが、中でも福岡県の博多付近で発達した「博多人形」はその美しさから、国内外の旅行者のお土産だけでなく、開業・転居のお祝い、記念品、また普通にインテリアとして求める人も多く、ほかにお守りとして自室に飾ったりする人もあります。
博多人形を特徴付けるもののひとつが「美人もの」の肌などに見られる「白」です。この色は本来「胡粉」という、貝殻を砕き膠で溶いて作る顔料を使用するのですが、とても高価であるのと「なまもの」で取り扱いが難しいことから、現代では使用するのは高級品に限られ、普及品では化学塗料で類似の色を出しています。
博多人形のルーツは鎌倉時代頃まで遡るともいわれますが、江戸時代初期に黒田長政公が福岡城を築いた時に、人形職人が集められ素焼きの人形が献上されたともいい、その頃にはある程度の人形制作文化が存在したのでしょう。
現在のような彩色人形は19世紀初頭の中ノ子吉兵衛(1797-1856)に始まるとされ、しばしばこの人が博多人形の創始者として言及されます。
中ノ子家は山口県二俣神社の宮司の家系の傍系にあたる家柄で、代々陶磁器を制作していましたが、分家を作ることが許されないため、8代・中ノ子長右衛門が長男の長伝に本業を継がせ(9代目長右衛門)、次男の長四郎(吉兵衛)に陶器人形を作らせたものです。
この人形はもともと「博多素焼き人形」と呼ばれていましたが、と1900年のパリ万国博覧会に出品された時になぜか「素焼き」が抜け落ちて「博多人形」と掲示され、それが有名になったことから「博多人形」の名前が定着しました。
博多を代表するお祭りである夏の「山笠」で使用される人形も、近年では博多人形師が制作していますが、さすがに素焼きではなく、鋸屑と糊を混ぜた粘土状のものを使用しています。(一時期、お金のない「流れ」ではビニール製のもので済ませたりしていましたが、最近ではだいたい元の形式に戻ってきています)。
博多人形で代表的な題材は、なんといっても和服を着た女性を描いた「美人もの」ですが、他にも少女を描いた「わらしもの」、黒田武士のような「武者もの」、また「歌舞伎もの」「能もの」「干支もの」などがあります。
毎年縁起物として「干支もの」を買い求める方もよくあります。
また、私の個人的な見解ですが「わらしもの」は恋愛に効きます!