1887年5月2日、眞崎仁六(まさきにろく)が東京四谷区に「眞崎鉛筆製造所」(現・三菱鉛筆)を作り、日本で初めての鉛筆工場生産を始めました。
鉛筆が発明されたのは16世紀の半ば頃で、イギリスのボロウデール鉱山で良質の黒鉛が発見されて、これを棒状に削り、2枚の板で挟んで筆記具にすることが考案されたものです。その後、黒鉛の粉末を硫黄と混ぜて固めたもの、粘土と混ぜて固めた物などが考案されていきます。現在はこの粘土を使う方法が、一般的となっています。
鉛筆は当時から日本にももたらされており、徳川家康が所持していた鉛筆なども残されていますが、なんといっても盛んに使用されるようになったのは生活が洋式化した明治以降です。眞崎は1878年のパリの博覧会を訪れた時に現地で鉛筆を見かけ、これを自分でも作ってみたいと研究を重ねて、1887年の開業に辿り着きました。
この眞崎鉛筆は後に大和鉛筆という会社と合併して眞崎大和鉛筆となり、1903年から三菱マークを使用し始めました。このマークの由来は最初に逓信省に採用された鉛筆が、硬中軟の三種類の鉛筆であったことと、眞崎の家紋が三鱗であったことに由来すると言われています。1952年に社名も三菱鉛筆に改称しています。なお海外では偶然にも似たマークを使うことになった三菱財閥との混同を嫌ってUNIのブランドをメインに使用しているようです。
(三菱財閥の方は創業者岩崎弥太郎の家紋・三階菱に由来するそうです。両者は全く関係ありません。日清食品と日清製粉が無関係なのと同様)
その海外でメインに使っているブランドUNIが付いた鉛筆というのは、私などが子供の頃は高級品というイメージが強いものでした。ユニを持っている子はけっこう自慢げでした。しかし今ではその下のランクの鉛筆が消えてしまい、ユニとハイユニというラインナップになっているようです。
現代ではシャープペンシルに押されて活躍の場が少なくなった鉛筆ですが、脳をα状態にしていろいろ発想を練っている時などは鉛筆のほうが心に優しい感覚がすることもあります。絵を描く人でデッサンに鉛筆(系の筆記具)を使う人が多いのも、そのあたりかも知れないという気もします。
ということで最後は「例の」コピペを貼っておきましょう。
アメリカは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだ時、無重力状態ではボールペンでは筆記できないことを発見した。これではボールペンを持って行っても役に立たない。NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。そしてついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した。
一方ロシアは鉛筆を使った。