民間行事の端午の節句を国民の祝日にしたものですが、GHQが戦後すぐに行ったアンケート調査で、新しい国民の祝日として、3月3日の上巳の節句と共に祝日にと要望があったものですが、GHQは子供の成長を祝う祝日が2つもあるのは、と言って「まとめて男女区別せずに成長を祝う日を」などと訳の分からないことを言って両者統合し「こどもの日」としてしまいました。しかし民衆はそう簡単に、おかみの押しつけを受け入れませんので、戦後60年たっても「こどもの日」は基本的に男の子の節句と考えられており、女の子の節句の3月3日も国民の祝日にして欲しいという要望は多いです。端午とは元々五月が午月なので、午月午日を言ったものです。ところが「午」が「ご」と読むもので「ごがつごにち」と言っている内にいつの間にか「5月5日」で祝うようになってしまったと言われています。この日が男の子の節句として定着してきたのは江戸時代頃からですが、実は平安時代頃は「女児節」と呼ばれ、女の子の節句だったような歴史もあり、本当は5月5日はGHQが勝手に考えたように男女双方の成長を祝う日にしても、そんなに悪くないという事情もあります。