オカマの日(4.4)

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これは大阪ミナミのニューハーフパブ「ベティのマヨネーズ」が1985年4月4日のオープンで、これがちょうど女の子の節句の3月3日と男の子の節句の5月5日の中間で「オカマの日」にいいのでは?ということで、同店で毎年イベントを開いていた習慣が広まったものです。

「TSとTGを支える人々の会」が提唱したトランスジェンダーの日も4月4日なのですが、これは偶然の一致であり両者は全く関係ありません。

ベティのマヨネーズのママのベティさんは1980年にSASの桑田佳祐のプロデュースでレコードを出したことがあり、この時に桑田がベティに「ニューハーフ」という称号?を用いたことが「ニューハーフ」という言葉の誕生のいわれだと言われています。この言葉は翌年、角川映画「蔵の中」に主演した松原留美子とともに広まったので、松原を元祖ニューハーフと思っている人もいるのですが、実際にはベティの方が先です。

「ゲイバー」という言葉もあるのですが、これはアメリカのゲイバーなどとはまるで違う文化の流れに属します。そもそも「ゲイバー」の名前で呼ばれている所にいる人たちのほとんどはゲイ(同性愛者)ではなく、T's(TS/TG/TV)の人達或いはクロスドレッサーやドラッグなどです。

恐らくは江戸時代の陰間茶屋からの流れがあったところに1960年代にフランスの老舗キャバレー「カルーセル」に所属する女装あるいは性転換したダンサー(当時のマスコミが彼女たちを呼んだことばが「ブルーボーイ」)の日本公演が行われ(この最後の公演の出演者を乗せた飛行機は富士山上空で空中分解し、ソニー・ティールら一行を含む乗客乗員全員が死亡した)、それに刺激されて東京六本木のプティシャトー(1969年オープン)などのショーパブが生まれてきたものと思われます。ただしベティのマヨネーズなどはプティシャトーなどとはまた別の路線を行っているようです。

日本の性転換者たちの中で、このようなショーパブなどに出演する人たちが先行して取り上げられてきたことには功罪の双方があると指摘されています。少なくとも昭和20年代頃から普通に社会的な性を変更して生きていた人も多くあり、性転換=ニューハーフバー勤務というイメージが一時期定着していたことは問題ですが、彼女らの活動によって、性別を変えて生きていく生き方があるのだということを広く知らしめて、自殺しかねないくらいに悩んでいた人達が救われてきた面もまたあります。


(2004-04-04)

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