放送記念日というのは幾つかありまして、2月1日のテレビ放送記念日、6月1日の国際放送記念日、9月10日のカラーテレビ放送記念日、などがあります。
この3月22日のNHK放送記念日は、大正14年(1925)3月22日にNHK(当時東京放送局)がラジオの仮放送を始めたのを記念し昭和13年に制定されたものです。
東京放送局は電機メーカーや新聞社などが共同で設立した社団法人で、初代の総裁は東京市長や逓信大臣・満州鉄道総裁などとしても知られる後藤新平。当時同様の動きが東京・大阪・名古屋で独立にあり、JOAK=東京放送局、JOBK=大阪放送局、JOCK=名古屋放送局、とコールサインは決められていました。
この時期に放送局が相次いで産声をあげたのは大正12年(1923)の関東大震災の反省があります。この時、多くの根もない噂(これは外国の攻撃らしいなどといったもの)が飛び交い、そのために朝鮮系の人たちが襲撃されて命を落としたりという事件が多数起きました。そこで、どういう時にでも瞬時に国民に正しい情報を伝えるメディアが望まれたのでした。関東大震災の復興に東京市長として尽力した後藤新平は、特にこの事業に乗り気であったでしょう。
東京放送局は最初3月1日に放送を始める予定でした。ところが購入するつもりであった、当時国内に1台しか存在しなかった放送用の送信機が大阪放送局に先に買い取られてしまいます。そこで東京電気研究所の送信機を借りて急遽放送用に改造して使用することにしました。しかし逓信省の2月26日の調査で「放送設備が未完成であるから3月1日からの放送は許可できない」と言われてしまいます。開始予定日はもう3日後でした。
既に3月1日から放送を開始するということで新聞などにも流しています。そこで3月1日からの放送は「試験放送」ということにして、追って必要と言われた設備を整備。改めて放送開始の許可を取って、3月22日「仮放送」にこぎつけました。(試験放送ならそれ以前にも色々なところがしているらしい)
この日朝9時30分、京田武男アナウンサーの「JOAK。こちらは東京放送であります。こんにちただいまより、放送を開始致します」という第一声に続き海軍軍楽隊の演奏がありました。周波数は594KHz。10時には放送開始式が行われ、後藤総裁はラジオ放送の意義として次の4点を挙げました。
(1)文化の機会均等。放送は地域・年齢性別に関係なく聞くことができる。(2)ラジオを取り囲んでの家庭内での団欒。外に行かなくても家で寄席などが聞ける。(3)社会人でも放送を通して教育を受けることができる。(4)経済機能の敏活化に寄与する。
当時の東京放送局は芝浦の東京高等工芸学校内の図書室に設けられていましたが、5月には愛宕山の現在放送博物館になっている地に正式の放送局が建築され、7月12日に「本放送」が始まります。この7月12日は現在「ラジオ本放送の日」になっています。なお6月1日には大阪放送局も上本町のスタジオから仮放送を開始、7月には名古屋放送局もスタートしました。
3月の放送開始時点のラジオの受信契約者は5455人で、ラジオの置かれた商店などの前には、毎日のように人が群がっていたそうですが、その年のうちに聴取者は東京で13万人、大阪で5万人、名古屋で1.5万人にまで増えています。
当時はラジオを買うのにもいちいち役所の許可が必要でしたが、放送に対する国民の期待度が推して計れます。このブームに乗ったのが大阪のシャープで同社はこの年4月に鉱石ラジオを発売。飛ぶように売れて、シャープペンシルで一時代を作った会社が新たなイメージを獲得しました。
なお、この年放送開始した3つの放送局は翌年8月20日、合併して日本放送協会となります。その後の同協会のあよみは以下の通りです。
1931.04.06 NHK第二放送開始1950.06.01 社団法人から特殊法人に改組(放送の自由化に伴う) この時GHQの指導でアルファベット3文字の略称を決めるよう いわれ NHK の名前が生まれる。1953.02.01 テレビ放送(総合)開始1959.01.10 教育テレビ開始1960.09.10 カラー放送開始1969.03.01 FM放送開始1984.05.12 衛星放送試験放送開始1985.11.29 文字放送開始1989.06.01 衛星放送本放送開始1994.11.25 ハイビジョン試験放送開始2000.12.01 BSデジタル放送開始
(1997-03-21)(2001-04-03大幅加筆&訂正)