1954年3月1日、アメリカがミクロネシアのマーシャル諸島内・ビキニ環礁で水爆実験を行いました。
ビキニ環礁での水爆実験はこの時が最初ではなく、1946年から行われていたものですが、この1954年の「ブラボー実験」の際、爆心地から150kmほど離れていた所で操業していた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなるなどの放射能被害を受けました。日本ではこれを機会に一気に反原子力運動が盛り上がります。
【地元の被害】ビキニ水爆は日本の漁船だけに被害をもたらしたのではありません。
現地のロンゲラップ島の住人も多数被爆しました。当時、空から白い灰が降ってきたのを、そんなに恐ろしいものとは知らず子供たちが灰の中ではしゃいで遊んでいたといいます。また髪の毛が抜け出すとそれも面白がり、誰が一番たくさん抜けるか競争していたとのことです。
当時アメリカ政府は予想外の風向きの変化で島に死の灰が到達してしまったと説明しましたが、後に情報公開法に基づいて公になった政府文書では、住民に被害が及ぶのは承知の上で実験を強行したものであることが明らかになりました。
それによると風向きの変化は分かったものの、アメリカの軍艦だけを安全域に移動させ、住民の避難作業は行わずに核実験を実行してしまったのだということです。
【消えた島】ビキニでの水爆実験は合計67回にも及びました。この結果爆心地の3つの島がこの世から消滅し、今では低い岩礁がところどころに顔を出してかつて島があったことの痕跡を微かにとどめています。
ブラボー実験の水爆の威力は広島型原爆の1000倍であるとのことです。アメリカは1989年にもうビキニ島から放射能はなくなったとの報告書をマーシャル諸島共和国に提出しましたが、共和国側はこの調査の内容は信用できないとして報告書の受取を拒否しました。
最大の被害が出たロンゲラップ環礁のほか、近くのウトリック環礁・アイルック環礁でも甲状腺疾患・白血病・流産・死産・子供の発育異状などの放射能障害が長年にわたって発生しています。水爆によってできた大きなクレーターの中には今も魚は住んでないそうです。
【ゴジラ】日本の怪獣映画史上最大の名作シリーズ「ゴジラ」が公開されたのはこの第五福竜丸が被爆した年1954年の11月でした。ゴジラは核実験の衝撃で長年の眠りから目覚めた恐竜で、放射能の火炎を吹くという設定で、これは反核の作品でもあるのです。
【ビキニの水着】ビキニの水着というのは、ビキニの水爆のように衝撃的な姿である、ということでフランス人の発明家ルイ・ルアール(1896?-1984)が考案・特許を取ったものです。
日本には1967年に初お目見えしました。1970年代にかなり普及しましたが、1980年代に入ると体型のカバーができるワンピース型の方が主流になりビキニはほとんど着られることがなくなりました。復活してきたのはここ数年のことでしょう。