〒マークの日(2.8)

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明治20年(1887)2月8日、郵便(ゆうびん)事業を扱う逓信(ていしん)省のマークが定められました。

さて実はこの時発表されたマークは現在の「〒」ではなく「T」でした。ところが14日(19日という説も)になって突然「〒」の間違いでした、と発表されたのです。

この経緯については幾つかの説があります。ひとつは単純ミス説で、元々「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」で決めていたのに、発表用の文書を作る段階で「T」と誤記されてしまったというものです。ただこういう説はみんな信用しようとしません。

もうひとつ有名なのは「T」というのが国際的に「料金不足」のマークとして使用されているという指摘があって、慌てて1本線を足してしまったというものです。この場合、もともとの「T」の由来についても、Teishinsho の「T」という説と「逓」の字が難しいので同じ「てい」と読む「甲乙丙丁」の「丁」にしたという説があります。

郵便事業については4月20日の逓信記念日のところでも触れましたが、江戸時代に一般的であった飛脚屋の場合、業者によってはかなり信用のおけないものもあるということで、国が保証する信書送付システムを作ろうということで明治4年4月20日(Greg.1871.06.07)にスタートしたものです。最初は民部省の駅逓司が管理していましたが、明治18年(1885年)12月22日に逓信省が発足しました。

「郵便」というのは古代中国で宿場のことを「郵」と呼んでいたことから郵をリレーして運ぶ便ということで名付けられたものです。「逓」の方はその「リレーする」という意味です。

郵便とならぶ通信手段である電信・電話の場合は、電信が明治2年、電話が明治23年に始まっています。電信などは郵便より先に始まったのですがなにしろ線を実際に張らなければならないので全国まで普及するのが遅れ、初期のころは電報は拠点まで通信で伝達されたあと、郵便で宛先まで送られていました。


(2004-02-08)

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