苗字の日(2.13)

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明治8年のこの日、明治政府は「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し国民は全員苗字を名乗ることになりました。

さてこの記事は過去に配信した記事を置換する目的で書きます。過去の配信で、私は、江戸時代まで苗字を公的に使用していたのは武士や貴族だけで平民の多くは苗字を使っていなかったと書いたのですが、これが誤りであり江戸時代にも平民は苗字を実は使っていた、というのが、現在では多くの人が支持する説となっています。

この説は名前の研究家として名高い丹羽基二が多くの証拠とともに提唱し、その後多くの研究者が他にも証拠を見つけ出して、過去の定説が翻ったものです。江戸時代に平民も苗字を使用していたのは古いお寺の過去帳などに、その跡が残されています。ただ「公的」なものではなかっただけのことです。そして明治8年のこの令によって、平民の苗字は公的に追認されたのです。

ところで、苗字(名字)と姓や氏というものがあり、現代ではこれらはもう同一視されているのですが、本来は別のものです。

たとえぱ、徳川家康の正式名は「徳川次郎三郎源朝臣家康」という長いものです。ここで徳川 苗字次郎三郎 通称源 氏朝臣 姓家康 諱という構成になっています。そしてその人のことを呼ぶ場合、基本的には徳川次郎三郎  (苗字+通称)  あるいは源朝臣家康   (氏姓+諱)という形式を取り、「徳川家康」のような、苗字+諱 という呼び方は当時はほとんど行われていなかったもようです。

ここで「苗字」が、その家系の名称であり、「氏」は「本姓」ともいっておおもとの家系を表します。

織田信長なら、織田三郎 あるいは 平朝臣信長 になりますし、豊臣秀吉なら、羽柴藤吉郎 あるいは 豊臣朝臣秀吉になります。

また官職を付けて「徳川三河守」「織田上総介」「羽柴筑前守」などという呼び方になる場合も。信長の官職は「上総守・上総介・弾正少忠・弾正大弼」など色々ある。

しばしば「羽柴秀吉」が豊臣という氏を賜って「豊臣秀吉」と改名したと思っている人がいますが、羽柴は苗字、豊臣は氏なので、豊臣という氏を賜っても苗字は羽柴のままだったのです。

なお、しばしば「豊臣の姓を賜った」と書く人がいますが(私も書いたことがあるかもしれませんが)、「豊臣」は氏であり、姓ではありません。

姓というのは、その氏の属性をあらわすもので、元々は大和朝廷が成立する過程でその地位や働きに応じて認定された「臣(おみ)」「連(むらじ)」の他に、職能集団や地方豪族などで「君(きみ)」「公(きみ)」「直(あたい)」「造(みやつこ)」「首(おびと)」「史(ふひと)」「村主(すくり)」「勝(すくり)」などを名乗るものがありました。

後に律令制度が成立すると、これらが「八色の姓(やくさのかばね)」として再編成されます。真人(まひと)・朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)

しかし平安時代頃には、多くの貴族豪族が源平藤橘の四氏を名乗るようになり、これらが全て朝臣なので、朝臣以外の姓はほとんど使われなくなっていきました。

そういうわけで、現代で「氏」「姓」「苗字」などと呼ばれているものは実は本来は「苗字」であるわけです。

なお「名字」という書き方もありますが、これは「苗字」の「苗」に当用漢字が定められた時に「みょう」という読み方が入っていなかったため代用として使われ始めた書き方です。「日蝕→日食」「輿論→世論」「障碍→障害」「註文→注文」「洗滌→洗浄」「颱風→台風」などと同様の書き換えです。

(2011-02-13)


(旧記事)明治8年のこの日、明治政府は「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し国民は全員苗字を名乗ることになりました。

江戸時代は苗字を(公式に)使っていたのは貴族と武士だけですが、明治3年に「平民苗字許可令」が出ており、平民でも苗字を(公式に)名乗ることが可能になっていました。しかし当時国民は明治新政府をあまり信用しておらず、苗字をつけたらそれだけ税金もたくさん課せられるのではないかなどと警戒していました。

これは明治4年に戸籍法が出来ると益々みんなそう思うようになり、翌年登録済みの氏名の改名を禁止するという布告が出ると警戒心はかなり強烈になりました。そんな中明治6年には徴兵令が出て人々は税金を取られるだけでなく、兵隊にまで取られるのかと明治政府への反発はどんどん高くなります。

これに対して大久保利通を中核とする明治政府は佐賀の乱(明治7年)を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上でこの年とうとう苗字の義務化を断行しました。

さて義務となっては仕方ないのでみんな苗字を名乗ることにするのですが、江戸時代から非公式に苗字を使っていた家は、それをそのまま届ければ済むので良かったのですが、ほんとうに苗字を使用していなかった人もかなりありました。しかし突然言われても思いつきません。そこでお寺の和尚さんや村の庄屋さんに相談する訳ですが、相談された方も大量に相談されてはネタが足りません。

そこで村中同じ苗字にしてみたり、山にたんぼがあるから山田だとか、川の上の方に住んでるから川上だとか、けっこう安易なネーミングが続出する訳です。今も残っているかどうかはわかりませんが、こういうのもあったそうです。

 ・田井・平目・浜地・多古   海産物シリーズ・大根            野菜ですね・女楽(めら)         女好きだから・酒巻(さかまき)       酒を飲んでくだを巻く・辺春(へばる)        屁をひる

もっとも安易に流れるというよりも明治政府への反抗心からわざと自虐的な苗字を名乗ったケースもあったそうです。

こうやって付けられた苗字の総数は非常に多く、苗字研究家丹羽基二さんが出している「日本苗字大辞典」(欲しい人は直接連絡を。〒195-0072東京都町田市金井4-1-16芳文館。全3巻。定価28万5,000円)には29万余の苗字が収録されています。人口比でいってもこれほど苗字の数の多い国は珍しいそうです。中国の姓は500種類、韓国の姓は300種類くらいと言われており、日本の姓の多さはまさに桁違いです。

(2000-02-12)


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