1月25日はお詫びの日。これはカノッサの屈辱にちなんだものです。
時は1077年です。キリスト教教会が東西に分裂してまもない頃、東ローマ帝国はまだ存続していました。ドイツでは962年にオットー大帝が西ローマの後継として神聖ローマ帝国を名乗り、当時の王ハインリッヒ4世はその6世の孫になります。
当時ローマ教会と神聖ローマ帝国皇帝とは僧職の叙任権に関して争いがありました。その対立は1075年頃からかなり深刻なものになってきましたが、とうとう前年、ドイツ側は法王グレゴリウス7世に退位の勧告をし、反発した法王はドイツ国内の反抗勢力と手を組んでハインリッヒ4世を破門してしまいました。
元々神聖ローマ帝国の皇帝はローマ法王によって「神聖」を保証されている立場にあります。異端者の烙印を押されてしまっては神聖帝国は成り立たないため、ハインリッヒ4世はただちにアルプスを越えて法王のいるカノッサに赴き、法王の城の前で、許しを請うために雪の中裸足で3日間立ちつくしました。
結局27日になって、やっと破門を解除してもらえたのですが、これをカノッサの屈辱といいます。しかし無能な王ならまだしも勇猛果敢なハンイリッヒ4世がこれで引き下がる訳がありませんでした。
国内の問題分子の始末をまずは付けてから1081年皇帝は軍を整えてイタリアを目指します。4年間の戦役を行い、ついに1084年実力でグレゴリウス7世を追放し、新法王にクレメンス3世を立てて、屈辱を晴らしました。グレゴリウス7世は南イタリアのサレルノで翌年憤死します。
こうして聖と俗の戦いは最後は俗が逆転勝ちを収めたのでした。