1月26日は「文化財防火デー」です。
これは昭和24年(1949)1月26日、修理作業中の法隆寺金堂が電気座布団のスイッチの切り忘れから出火、模写中の壁画がほぼ全焼してしまったことを戒めとするために設けられました。
昭和9年から昭和30年まで続いた「昭和の大修理」の最中の出来事でした。
この金堂壁画は世界でも五指に入る仏教壁画の最高傑作のひとつと言われていました。
しかし1200年以上もたちかなり痛んできていたため、何らかの保存対策を取ることになり、名案はなかったのですが、取り敢えず現状を記録するため、京都の便利堂が壁画を全部撮影することになりました。
撮影が行われたのは昭和10年(1935)。当時まだカラー写真(同年にコダックが発明)がなかったのですが、便利堂では三原色のフィルターをかけて撮影し、380枚の乾板にこれを納めました。
この時予備も含めてイギリスの写真会社に500枚の乾板を注文したら、あまりの枚数の多さに「50枚の間違いではないのか?」という問い合わせが来たというエピソードもあります。そういう時代でした。
便利堂は電気系統の問題には非常に慎重で、帰る時は電柱によじのぼって元電源を切り、しかも誰かが侵入したりしていたずらしないように、電源ボックスには鍵までつける気の配りようでした。
しかし、戦争が終わってから始まったこの模写作業ではあまりにもイージーなミスから世界的に貴重な文化遺産を失うことになりました。その知らせを聞いた時、便利堂の担当者は「馬鹿か?」と反射的に言ったといいます。ロンドン・タイムス東京支局長のフランク・ホーレーは「日本人はこうした貴重なものの取扱いが全く下手でデタラメだ」と怒りの論評をしました。
消防庁長官も異例の通達を出して係員を派遣するとともに、文部省に防火体制の見直しについて申し入れを行いました。文化財防火デーが設けられたのは昭和30年のことです。
火事でこの貴重な壁画が焼けてしまったのち、便利堂がカラー撮影をしていたことを知ると、文部省は非常に喜びました。このお陰で我々は今でもこの壁画の様子を見ることができます。
なお、焼けてしまった壁画については現在の技術での修復作業が困難であるため、樹脂で崩壊を防止した状態で収蔵庫に保管されています。