毎月26日は「風呂の日」です。
日本人の生活には欠かせない「お風呂」ですが、だいたい3つのルーツがあります。
−清めとしての斎戒沐浴−温泉に浸かる湯治−疲れを癒すための蒸し風呂
歴史的に最も古いのは洋の東西を問わず、蒸し風呂の文化のようです。日本などでもおそらく4世紀頃には、岩の凹みなどに水を入れ、焼いた石を投入して蒸気を作りそれに当たるような形の風呂が一部で使用されていたのではないかと思われます。また清めとしての斎戒沐浴は宗教的な方面から来ており、少なくとも6世紀に仏教が入ってきた時には同時にお寺関係で導入されていると思われますが、それ以前から日本伝来の神道の中にもそういう「清め」の風習があったかどうかについては意見が分かれる所です。
ただ、少なくともいわゆる「大祓えの祝詞」では日本全国の大掃除をして清め流しさる、といった概念が語られていますので、この祝詞が成立したと思われる6〜7世紀頃には少なくとも中臣神道には、こういう概念が出来ていたのでしょう。この水で清めるという風習と、蒸し風呂で汗を流してすっきりするという風習はけっこう早い時期(おそらく平安時代頃)に合流し、蒸し風呂で流した汗を水(または湯)で洗い流すという、合わせ技として定着していきます。
一方で温泉も古くから開拓されており、有馬温泉・白浜温泉・道後温泉のいわゆる日本三大古湯などは少なくとも聖徳太子の時代にはあったもののようです。こういう温泉の湯を重んじる風習はかなり根強いもので、平安時代の貴族などで、有馬温泉の湯を樽で運ばせて浸かって楽しんでいたような人もいました。
しかしこの湯(温泉)と風呂(蒸し風呂)というのが、実は意外に合流点が遅いのです。
銭湯は平安時代頃からあったのですが、これは基本的に蒸し風呂方式です。しかし利用していた人の数もそう多いものではありません。しかし江戸時代の初期に、庶民を対象とした風呂が登場し、最初は純然たる蒸し風呂だったのですが、大量の人数をさばくには、従来型の蒸し風呂方式ではやっていられないので、お湯を溜めた浴槽を作り、最初はおそらく10cm程度の水深のお湯を張り、そこから出る水蒸気で蒸し風呂にする、という方法が生まれました。するとこれに入る人たちは足や腰は湯に浸かり、上半身で蒸し風呂を楽しむという形になります。ここで使用された服が「浴衣」ですね。そして、この湯の深さが時代と共にだんだん深くなっていって、明治時代頃に、今のような銭湯の形式に到達したと言われています。
つまり今のように、肩までつかって体中の血行をよくする、というタイプのお風呂が生まれたのは実は明治時代であった訳です。この時代に、結果的には風呂の楽しみ方が、温泉の楽しみ方とほとんど同じになりました。ただし、温泉は浸かるだけでなく飲みますが、風呂は飲まないという違いはあります。
(2005-10-26 02:17)