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イースター島とモアイ像
イースター(ラパヌイ)島イースター島は現地ではラパヌイと呼ばれています。この「イースター島」の名前はキャプテン・クック(1728-1779)がちょうどイースターの日にこの島に到着したことから名付けられ、欧米ではその名前が普及しています。以下は現地名主義に従い、ラパヌイ島と呼ばせて頂きます。
ここはポリネシア諸島の東の端にあたり現在チリ領。住民は3000人ほどです。絶海の孤島で、チリ本土からもタヒチからも3千キロほど離れています。日本から行くにはタヒチかニュージーランド経由で行くことになります。ラパヌイの空港は島の規模に似合わぬ巨大なものですが、これはここがスペースシャトルの緊急着陸場になっているからだそうです。
ラパヌイといえば巨大な「モアイ」像ですが、これが作られたのはだいたい11〜17世紀頃と言われます。最も栄えた頃は島民は1万人を越えていましたが、人口が多すぎて環境破壊を招いたようです。
ヨーロッパ人が来るようになってからは島の若い男性が奴隷商人に売り飛ばされたり、伝染病がはやったりして、一時期は2000人以下にまでなっていたようです。その後、ポリネシア人が主導権を取り戻しています。
島民はどこから来たか?
クックが18世紀にこの島を訪れて以来、ヨーロッパではこの島の人たちがどこから来たのか?というのが議論になりました。いろいろな説が出ましたが、中でもユニークなのは、ここに昔ムー大陸があり、それが沈没してここが取り残された、というものでした。
トール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl,1914-)は、彼らは南米から渡ってきたのではないかと考え、「コンチキ号」といういかだを製作。それに乗って、南米からラパヌイ島、そしてタヒチと航海をしてみせその理論を『実証』しました。
しかし実際には現在の定説ではここの住民は元々ヘイエルダールとは逆に太平洋の西側のアジア方面から航海して渡ってきたとされています。だいたい今から1600年ほど前のこととされ、住民を率いて海を渡ってきた王の名前は「ホツ・マツア」と呼ばれています。どうしてそんなに古い時代に、この島を発見することができたのか、人類の力は素晴らしいですね。ハワイなどもポリネシアから北へ航海して発見されたものだといわれています。これもまたすごいです。
モアイ像
ラパヌイ島には約600体のモアイ像がありますが、かなり多くの像が倒れています。これは一時期人口が多くなりすぎて内戦が起きていた頃に、お互いに倒しあったようです。この無惨な倒れた像を見ていて「クレーンがあれば起こせるぞ」とつぶやいた日本人がいました。この言葉から、この倒れた像を起こすプロジェクトが生まれ、現在すでに何体かの像が起こされて、かつての姿に復帰しています。
なお、モアイとはラパヌイの言葉で「生きるため」という意味だそうです。当時の村の長の顔を模したものと言われています。

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