こよみの読み方(27)戦前の祝日



ついでですから、ここで戦前にどのような祝日があったのかを見ておきましょう。

まず江戸時代までは日曜が休みなどという制度もなく、お店に奉公している人たちは1月16日と7月16日の年2回の藪入りしか休みはありませんでした。しかし農村などでは、いわゆる5節句に農作業を休むという習慣があったようです。また村のお祭りの時は実質作業は出来なかったことでしょう。
5節句は次の5つです。

人日 じんじつ 1月7日
上巳 じょうし 3月3日
端午 たんご 5月5日
七夕 しちせき 7月7日
重陽 ちょうよう 9月9日

国全体の制度として祝日が定められたのは明治になってからです。まずは明治3年に次の9日が祝日として定められました。(当時はまだ旧暦)

1月1日 元旦
1月15日 小正月
3月3日 桃の節句
5月5日 端午の節句
7月7日 七夕(たなばた)
7月15日 お盆
8月1日 田の実の節句(八朔)
9月9日 重陽の節句
9月22日 明治天皇誕生日

ところが暦が明治6年から新暦に切り替わりますと、祝日も大変革が行われます。この改訂の趣旨は今までの「国民の祝日」的なものから「皇室の祝日」的なものになってしまったことです。明治6年10月14日に従来の祝日が全て廃止されて次のような祝日が制定されました。

1月3日 元始祭 天皇が宮中三殿に参拝するものです。
1月5日 新年宴会 宮中で貴族や外国大使等がパーティーをするもの1月31日 孝明天皇祭 孝明天皇の命日です。
2月11日 紀元節 神武天皇の即位の日ですが、日本書紀では神武天皇は1月1日即位と書かれています。それでは元旦とぶつかってしまう為わざわざ西暦に換算してこの日に定めたものです。
4月3日 神武天皇祭 神武天皇の崩御の日を同じく太陽暦換算して定めたものです。
10月17日 神嘗祭 本来伊勢神宮のお祭りでその年の新しい稲を神に捧げて感謝する祭です。
11月3日 天長節 明治天皇の誕生日を新暦換算したものです。
11月23日 新嘗祭 古くから天皇が司ってきた儀式で、天皇が自らその年の新しい稲を神に捧げて感謝する祭りです。

という訳で、見事に国民から遊離したものを祝日として定めた訳です。このほか宮中では歴代の天皇の命日を従来からお祭りしていましたが、これも全部新暦に換算しろなどという話になり、大騒動になりました。無論コンピュータもない時代、手計算でそれを計算し検算するのは大変だったようです。
(これコンピュータがあっても、凄く大変なんです^^;)あまり大変なもので面倒になって春秋のお彼岸にまとめてお祭りしようということになったようで結局明治11年に春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」として新たに祝日として追加されました。やっと国民も祝うことのできる祝日が2つだけ復活したことになります。

大正になると孝明天皇祭が明治天皇祭(7.30)に変わり、天長節は8月31日に移動します。しかし実際には8月31日は色々と不都合があったようで天長節は10月31日の「天長節祝日」でお祝いしたようです。昭和になると明治天皇祭が大正天皇祭(12.25)に変わり、天長節は4月29日になって「天長節祝日」などというやっかいなものは解消されます。そして明治天皇の誕生日11月3日が「明治節」として祝日に復活しました。

これらの祝日のほか、女学校などだけがお祝いしていたのが「地久節」です。
これは天皇誕生日「天長節」に対して制定された皇后の誕生日で、明治天皇の皇后一条美子は嘉永3年4月17日生まれですから新暦換算して5月28日とし、その後は大正天皇の皇后九条節子の6月25日(明治17)、昭和天皇の皇后久邇宮良子女王の3月6日(明治36)と順調にお祝いしていました。

この体制が終戦まで継続し、戦後になってやっと元旦や端午の節句など本当に国民の祝日であるお祭りが復活したわけです。

(1997/03/30)
(1999.06.21)