こよみの読み方(12)七曜



七曜は日・月・火・水・木・金・土です。

七曜の起源はよく分からず、色々な説が出ていますが、恐らくはバビロニア起源ではないかと私は考えています。多分BC500-1000年頃の発明ではないでしょうか。どのようにして始まったかについてもよく分かりませんが、新月から上弦まで、上弦から満月まで、満月から下弦まで、下弦から新月までがそれぞれ約7日であるため、という説明も魅力的です。

このバビロニアの影響でユダヤ暦などもできているようですが、そのユダヤでは神が7日間で世界を創造したという話が生まれ、安息日(休息日)の風習が生まれて、これがキリスト教・イスラム教にも広まっています。ただし、休息日は宗教によって異なり、イスラム教が金曜日(集団礼拝の日)、ユダヤ教が土曜日(安息日)、キリスト教が日曜日(主の日)です。なお、イスラム教・ユダヤ教の1日はキリスト教の暦でいうところの前日の日没から始まり、その日の日没で終わります。安息日には安らかに過ごさなければならないことになっていますので、オリンピックなどに出てきて、たまたま試合の日が安息日にぶつかってしまい、泣く泣く棄権した選手などもあるようです。

ローマの歴史家カシウス(150-235)は七曜の順序を次のように説明しています。
七曜が成立した頃の古代の人々は七つの惑星が地球を支配する順序は地球から遠い順であると考えた。そしてその遠い順序は土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月の順であると考えた。

今第1日の1時に土星が地球を支配したとする。すると2時には木星、3時には火星、4時には太陽、....と来て、24時は火星の支配。従って第2日の1時を支配するのは太陽である。

すると第2日の2時は金星、3時には水星、....と来て24時は水星の支配になって、第3日の1時は月の支配になる。

同様にして計算していくと、第4日の1時の支配は火星、第5日は水星、第6日は木星、第7日は金星となり、第8日でまた土星になって元に戻る。

日本に七曜をもたらしたのは弘法大師・空海です。彼は中国から大量の経典を持ち帰りましたが、その中に宿曜経(不空三蔵とその弟子史瑶との共作)がありました。その宿曜経の中に七曜のことも記載されており、ここから日本の暦にも七曜が取り入れられました。

その後、日本の暦では、明治になって西洋文化と触れ合うまでの1000年間、この七曜が一度も計算間違いされずに、きちんと継続していました。当時日曜のことは蜜とも呼んだそうです。この言葉は宿曜経でも説明してありますが、中央アジアのソグド語の日曜「ミル」から来ています。詳しいことはこの宿曜経(正式には文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経)に書いてありますので、興味のある方は原文を読んで下さい。

日本語の七曜の名称も、この宿曜経から出たといってよいでしょう。中国では五行思想のもとで、5惑星に五行を対応させる考え方が成立していました。
そこで、宿曜経においても、この七曜が西洋で5惑星と太陽・月に対応しているということを述べています。そこで曜日の名称として、この七つ「日月火水木金土」を使用する考え方が生まれたと思われます。従って、この日本における七曜の名称はいわば中東からの直輸入版といってもいいようです。
中国でも曜日の名称は「天一二三四五六」です。

フランス革命の時、革命政府はグレゴリウス暦を廃して「葡萄月」「熱月」などの名前の月のある新暦を公布しましたが、その時週も廃止して10日単位の旬を導入し、毎月10日・20日・30日を休日とする、という方式を導入しました。しかしこれは全く定着せず、ナポレオンがローマ法王庁と協議して週を復活させ、あえなく消滅しました。

明治になって外国の企業が多数入ってきた時、そこのオフィスに務めることになった日本人は西洋人の曜日による生活に従わず、また藪入りになると勝手に家に帰ってしまうため、各国から明治政府に西洋式の太陽暦と七曜の採用に対する圧力がかかりました。これが明治6年の太陽暦移行のひとつの原因にもなったようです。ただし七曜が公式に採用されたのは明治9年3月12日太政官達27号です。また外国企業以外にも浸透したのはおそらく昭和の初期ではないかと思われます。

一般に庶民は生活習慣に関わることに対して、お上の命令に反抗します。しかし昭和初期の軍国主義にもとづく国民団結運動の波にはさすがに逆らえる人は多くありませんでした。当時宗教の統合なども多数実施されています。

(1997/03/03)
(1999.04.19)
(2021.11.02 安息日修正)