こよみの読み方(6)日本の暦-1



日本に初めて暦法がもたらされたのは欽明天皇の時代553年とされています。

それ以前にも農作業などのために何らかの暦は存在していたと思われますが中国流の太陰太陽暦が導入されたのはこれが最初で、実際に日本人がその計算法を習得したのが推古天皇の時代。そしてその計算された暦が一般に公布されるようになったのは持統天皇の時代と考えられています。

この当時導入された暦は2種類あり、元嘉暦と儀鳳暦です。この内元嘉暦はかなり古いものであり、儀鳳暦の方が新式の暦でした。日本ではだいたい推古朝から持統朝までが元嘉暦を使用しており、文武元年から儀鳳暦に切り替わっています。また、日本書紀にはそれより遡る時代の日付が書かれていますが、この日付は諸研究家の試算によれば、この新式の儀鳳暦を簡易化した特殊な暦によって作成されていることが明らかになっています。

その後奈良時代から平安時代初期に掛けて、日本は中国の新しい暦法を次々と輸入、大衍暦・五紀暦・宣明暦と暦は改訂されていきます。しかし宣明暦が導入された後、唐の勢いが衰えて遣唐使が廃止されたことから、その後800年間も暦の改訂は行われませんでした。

宣明暦はよく出来た暦なのですが、致命的な欠陥がありました。それは1年の長さが 0.0024日ほど長すぎることでした。これだけの誤差があるとそれを800年も使っていると日付のずれが生じてきます。かくして1685年やっと新しい暦が採用されることになり、陰陽師支配の土御門家とも関わりのある渋川春海が貞亨暦を作成しました。これは初めて作られた日本製の暦です。

この後8代将軍吉宗は、享保の改革の一環として暦も改訂したいと考えました。そこで施行されたのが宝暦暦ですが、これは政治家主導で作られた暦らしく、とんでもない欠陥品でした。わずか9年後には日食の予報に失敗してかなりの改訂をする羽目になります。この困った暦がやっと本格的に改訂されたのは寛政年間になってからのことでした。これはオランダ渡来の天文書をもとにニュートン力学に基づく計算で作られたもので、日本の暦の中でも最高傑作ということができます。

しかし、日本の暦はまたまたその後改悪されてしまいます。現在もその方式が引き継がれている天保暦です。この暦の問題点は月の名前を付ける規準となる二十四節気を時間分割ではなく太陽の黄経による空間分割に変更したことです。これにより、二十四節気の間の時間が季節によって変動することになり、結果月の名前と季節が大きくずれるケースが発生することになります。
この改暦はいわば100円の商品を買うのに代金を現金書留で送金したようなもので、季節を測る道具としての暦の意義を忘れた愚かな改訂と言えます。

(1999.03.25)