戦前の祝日

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五節句

五節句は、中国の習慣が輸入されたもので、長く祝日として扱われてきた。
1月7日:人日(じんじつ)
正月の1日が鶏の日、2日が犬の日、3日が猪の日、4日が羊の日、5日が牛の日、6日が馬の日で、7日にやっと人の日になる。現代では七草がゆの日。
3月3日:上巳(じょうし)
別名桃の節句。江戸時代以降は“ひな祭り”と結びついて女の子のお祭りになった。
5月5日:端午(たんご)
本来は“端午”の名の通り、午月(五月)の最初の午日だったが、いつの間にか“端五”と誤解されて5日に祝われるようになった。なお昔は5月5日は(端午とは無関係に)女児節といって女の子のお祭りだった。
7月7日:七夕(しちせき)
いつの頃からか“たなばた”の行事と結び付き“七夕”と書いて“たなばた”とも読むようになった。
9月9日:重陽(ちょうよう)
別名菊の節句。現代ではほぼ忘れられている。

明治〜昭和前期の祝祭日

明治の祝祭日

明治6年10月14日の太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」により、下記の祝祭日が定められた。これは国民の祝祭日というより、宮中の祝祭日とい性格が強い。
明治11年6月5日の改正により下記が追加された。

春季皇霊祭(春分日)
秋季皇霊祭(秋分日)

最初は歴代の天皇の祭日を全てお祭りしようとしたのだが、あまりにも大変すぎるので、春と秋の彼岸にまとめてお祭りすることにしたものである。

明治12年7月5日の改正により、神嘗祭が9月17日から月遅れの10月17日に変更された。新暦の9月17日は季節的に早すぎるのである。このあたりから“新暦を月遅れで使う”というやり方が出て来たものと思われる。

大正の祝祭日

大正元年9月4日「休日ニ関スル件」が公布され「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」は廃止された。

基本的にはこれまでのものを踏襲した上で、下記を変更している。

天長節は、8月31日に移動。
先帝祭は、7月30日に移動

大正2年に、天長節祝日(10月31日)が追加された。これは天長節の8月31日が暑すぎて、行事をおこなうのに辛いので、2ヶ月遅らせたものである。天長節はそのまま単純な休日とする。

昭和の改訂

昭和2年3月4日の全部改正(昭和2年勅令第25号)により下記が変更になった。

天長節は4月29日に移動。
先帝祭についてはこのようにする。 天長節祝日(10月31日)は廃止。

天長節祝日の廃止で休日が1日減ったが、明治節の創設により1日増えて、休日数はプラスマイナス・ゼロである。

昭和23年7月20日「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号)の施行により廃止された。

地久節について

地久節とは、皇后の誕生日を言う。明治22年から、この日が祝われるようになり、女学校を中心に祝祭行事が行われ、授業はお休みとなった。歴代の地久節は下記。

明治天皇皇后(昭憲皇太后)5月28日
大正天皇皇后(貞明皇后)6月25日
昭和天皇皇后(香淳皇后)3月6日

昭憲皇太后(一条美子(はるこ))は、嘉永2年4月17日の生まれで、この日は西暦では1849年5月9日である。ところが、明治天皇と結婚することが決まった時、明治天皇が嘉永5年9月22日の生まれで、美子より3つ年下であった。それで、あまりに年上であるのを遠慮して、公的には美子の生年月日を、1年遅れの嘉永3年4月17日ということにしてしまった。この日は西暦では1950年5月28日になってしまう。そのため、明治時代の地久節は5月28日に祝われていたのである。

この混乱は、要するに年齢鯖読みの結果である!


(2022.11.23)
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